――長年、原爆供養塔の墓守として遺骨を守り、遺族探しを続けてきた「ヒロシマの大母さん」こと佐伯敏子さんの、95年におよぶ波瀾に富んだ半生もこの本の大きな読み所です。
堀川 広島時代、供養塔に行けば佐伯さんに会えたので、一緒によくお好み焼きを食べたり、近くの川で亡くなった学生の制服のボタンを拾ったりしていたんです。語り部としては有名だったのですが、遺族探しをされていたことは知りませんでした。あえて取材しようとは思わなかった。それがある時から見かけなくなって、「倒れたらしい」と聞いたんです。ただ、その時はお見舞いには行けなかった。
今回、原爆供養塔の取材を始めた時、佐伯さんがまだご存命だと知って、すぐに会いに行きました。寝たきりで目も見えなかったのですが、私のことは覚えてくれていました。そこから、あらためて佐伯さんの生い立ちをお聞きしました。8月6日に母を探しに広島市内に入った佐伯さんは二次被爆をし、原爆症に苦しみながらも、長年にわたって遺骨の身元探しを続けました。その姿勢がやがて行政を動かし、多くの遺骨が遺族のもとに返るきっかけになったわけです。長年、笑ったり喋ったりする間柄よりも、一度でも真剣な姿勢でインタビューするほうが、深い関係が築けることがある。そのことを今回、あらためて思い知りましたね。
また、遺族探しで壁にぶつかり、気持ちが折れそうになった時など、よく佐伯さんに怒られました(笑)。95歳の叱咤激励は、困難な取材を続けるうえでの大きな助けになりました。
――佐伯さんの意志を継ぐかのように、堀川さんは遺骨の身元探しを続けます。その過程で、死んだはずの人物が生き返ったり、死者たちの名前を後世に書き残した少年特攻兵たちの存在が明らかになるなど、予想もつかないような展開を見せます。原爆の犠牲者についての新事実や新証言が満載された本作品を、戦後70年の節目の年に出された意義とは何でしょう?
堀川 あの戦争で亡くなられた方々のおかげで今の我々がある、ということを忘れてはいけないと思います。戦没者310万人と簡単に言いますが、そこには数字だけではなく、一人一人の人生がある。生きていれば子や孫がいた。そんな屍の犠牲の上に我々がいるという事実を、今回の取材を通じて痛感しました。その意味でも私自身、初めて本当のヒロシマと向き合った気がします。