
- 2015.12.17
- インタビュー・対談
手紙こそ親から受け取る素晴らしい財産――千住真理子さんインタビュー(前編)
「本の話」編集部
『千住家、母娘の往復書簡 母のがん、心臓病を乗り越えて』 (千住真理子・千住文子 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
249代ローマ教皇に捧げられた名器中の名器・ストラディヴァリウスで精力的に演奏活動を行っている千住真理子さん。「天才少女」と言われたがゆえに苦しむ娘を心身両面で支え続け二人三脚で歩んできたのが、母・文子さんだ。その母娘の往復書簡が12月に待望の文庫化。「今は演奏会シーズンで体力勝負」という千住さんに、秘話をたっぷりと伺ってきました。

――『千住家、母娘の往復書簡』は2年前に刊行された単行本に、ご家族の写真を沢山追加し文庫化されたものです。最初どういったことがきっかけで出版されることになったのですか?
千住 母は心臓病を患っていたのですが、それを克服して数年後、今度は末期ガンと診断されてしまいました。ちょうどその頃、文春の方に「母と何か語り合いたいんだけど」って相談していたんですね。「それなら雑誌で対談の形にしましょうか、対談なら体力もそんなに使わなくて済みますよ」と言ってくださったので母へ伝えたら、「対談なんていやだ、手紙を書くんだ」と言い出して(笑)。
――お母さまはどうして手紙にしたいっておっしゃったのでしょう?
千住 とにかく母は書くことが昔っから好きだったんですね。もうねぇ、私たち3兄妹(長兄・日本画家の博さん、次兄・作曲家の明さん)が小さい頃は、何かあると母からこんな分厚い手紙が(指で1~2センチほどの厚さを示しながら)机の上に置いてあるんですよ。3人とも、「あー、もうまただよ」という感じ(笑)。兄達の場合だと、毎日の素行なんかについて書いてあったりね。私の場合は、当時ボーイフレンドがいたので「ボーイフレンドと遊んでいる時間があったらヴァイオリンを弾きなさい!」みたいなことが、もう20枚くらい書いてあるわけですよ。非常に何か哲学的なことが書いてあったりするんですが、それがまたしつこく書いてある(笑)。私たちは「またなんでこんな長く書いたの?」なんて母に文句を言ったりしていました。
――子どもに口で伝えるより、手紙に託すお母さまだったのですね。
千住 そうですね。そうしたきっかけで、月刊誌「文藝春秋」に往復書簡という形で掲載することになり、その後書きおろしを大幅に加えて一冊の本になりました。

――真理子さんご自身、手紙は普段からお書きになりますか?
千住 いやぁ、私はまどろっこしい事があまり好きではないので、手紙で書くくらいなら直接会って話した方がいいと思うタイプだったんですね。でも書くことは嫌いじゃない。だから母から言われて、「よし分かった! 手紙でいこう」と決めました。母と手紙のやりとりなんて生まれて初めてでした。遠く離れて生活しているわけじゃないからハガキを書く必要がないし書きたいと思ったこともない。手紙にすることにしたって言ったら、兄たちが笑ってましたもんね、「そんな恥ずかしいことやっちゃって」って。私もしまったなと思った(笑)。「ですます調」で書こうかどうしようか……なんて始めはとまどいがあったのですが、段々と本心が書けるようになっていきました。
手紙は本心をさらけだす最適な方法
――どんなときに手紙を書いていらっしゃいましたか?
千住 私は職業柄いつもヴァイオリンケースを持ち歩いていますが、とにかく楽器は重たいんですよ。ヴァイオリンを守って歩くのが第一なので、手紙を書くために持ち歩くには紙が一番軽いけれども、それだと書いてすぐに送ることができないから、やっぱり携帯を使おうと。移動中の新幹線の中で携帯で編集者へメールを送り、それをプリントアウトして母へ郵送してもらっていたんです。演奏会へ行く移動中にメールを打つのが私にとっては一番書きやすかった。今ではもう癖ですね。
一方の母はといえば、日中だとばたばたするから、誰にも邪魔されない真夜中に手書きで書いていたようです。日中会っても、手紙でのやりとりのことはお互いに一切、知らん顔。書いたとも言わない。たまに母が、「あなたね、あんなに難しい投げかけをしてきて、私どうやって書いたらいいのよ。ちょっとヒントを与えなさいよ」なんて言ってきたことがありました。でも私は「絶対に言わない。そんな話をしたらつまんないでしょう」と言い返して。それ以来、母は私に面と向かって手紙のことは言わなくなりました。

――じゃあ、本当に文面を通じてだけのやりとりですね。ご家族のこと、女性としての生き方、ヴァイオリニストという仕事、生と死についてなど、心の奥底をさらけ出してお2人とも書いていらっしゃる。読者の目は気にならなかったのですか?
千住 それは完全に忘れていました。というのは、書いた後に公にする前の校正の段階で削ればいいと思って、とりあえず本心を綴っていったんです。これは書くのをやめようとか言っていたら書けなくなっちゃうから。でも結局、全然削りませんでした。
――メールでの直接のやりとりではなく、手紙という形はどうでしたか?
千住 もうねぇ、手紙で良かったと思うことは沢山ありますね。やっぱり、こんなに本心をさらけ出せる方法は、他にない!(きっぱりと)手紙だと素直に書ける。恥ずかしいなって思うようなことも書いちゃえる。相手とのやりとりの間に、時間と空間が入るのがいいんでしょうね。
母の意外な面に驚いて
――実際に何十通もやりとりされて、お母さまからのお便りの内容にびっくりされたことはありましたか?
千住 そうですね、まず、母がああいう性格の人だとは思わなかったですね。それまでは頼もしくて完璧な、本当に気の強い人だと思っていました。人のいやなこともズバズバ言うし、本当に男っぽい性格の、喧嘩でもなんでも向こうから仕掛けてくるような人だと思っていました。

――真理子さんをあまり褒めたことがなかった?
千住 全然褒めないです。ダメ出しの方が多い。演奏会が終わった後なんかは結局、いかに私がだめかということを力説していました(笑)。もうねぇ、表裏がないんですよ。嘘がつけない。だから時には、娘にも言っちゃ悪いと思って母もだまっていることがあるんですが、表情に出ちゃっているからもうバレバレ。「だまって我慢しないで、いいから言ってよ」と私が言っても、「あんたが怒るから言わない」ってそんなやりとりが1~2時間あって、母が「じゃあ言うわよ」と言い始めると、もう止めを刺すようなことしか言わない(笑)。今でも思い出すと、心にグサグサ刺さってますから。
手紙で分かったことの一つに、意外にも母にこんなに弱いところがあったのかということでした。私の家の庭の木が冬になると葉っぱが落ちて裸の木になるんですが、それを何か自分の死んだ後の骨のように表現している。そんなふうに死というものを怖がっていたのかというのは、それまでの母からは全然想像だにできなかったことです。
母と娘、同性同士の親子は難しいんですよ。晩年はもちろん違いますけれども、20代30代のころは母に対してある種のライバル心を持ったり、あるいは何で私のことを分かってくれないの? という苛立ちだったり、いろんな思いが母に対してありました。母親の方もおそらく、そんな娘が思うようにならず歯がゆかったと思います。
でも最後は、病室で痛みに耐えながら私を待っている母はまるで子どものようでした。文通の終わりのころは特にそうで、母の弱い部分を知ったこともあり、母を幼子のような気持ちでどうしても見ちゃう。本当に助けてあげたい、という気持ちが強かった。明兄も解説で「母性に満ちた真理子」なんて書いてくれてますけど。
――演奏の合間にお母さまの病室に駆けつけていらしてたから、大変だったでしょう?
千住 大変でした。ドリンク剤を結構、バカスカ飲んで(笑)。私も毎日のように頭痛があったし、眠れないから眠り薬も飲んでいた。でも、それこそ母が私たちを育ててくれていた若い頃、こうやって強がって育ててくれていたんじゃないか、とふと思うときもありました。そう思うと、私がしっかりしなきゃだめだとか、私が弱音を吐いちゃいけない、というのが一番にあったので、母の前に出るときはジーパンにキャップを被って、いつも元気な私を見せていました。そうすると、母はそういう私に頼ってくるので、それは嬉しかったです。
写真提供:千住真理子
「手紙こそ親から受け取る素晴らしい財産――千住真理子さんインタビュー(中編)」に続く
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手紙こそ親から受け取る素晴らしい財産――千住真理子さんインタビュー(中編)
2015.12.18インタビュー・対談 -
手紙こそ親から受け取る素晴らしい財産――千住真理子さんインタビュー(後編)
2015.12.19インタビュー・対談 -
母と妹のアンサンブル
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バックステージ
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手紙のすべてが、二つの魂となって協奏している。
2013.05.16書評
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『数の進化論』加藤文元・著
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