書評

他人がいるということ

文: 藤野 可織 (作家)

『問いのない答え』 (長嶋有 著)

 東日本大震災があったとき、私はパジャマのままで録画していたドラマを見ていて、ドラマが終わり、あー面白かったなーとリモコンの停止ボタンを押したら、気楽なバラエティ番組かなんかをやっているはずのテレビが津波の押し寄せる様子を映し出していた。ヘリに乗って中継しているレポーターが、悲鳴のような、泣きそうな声を出していた。私は言葉もなくそれを見ていた。

 ほどなくして、小説になにができるのか、小説の役割とはなにか、といったことが囁かれ出した。本当は以前からそういう問いかけはあったのだけど、そのころは私の目の端にちらちらするくらいにまで声が大きくなっていた。生きるか死ぬかのときに、小説を書くしかできない者は無力だ、なんの助けにもならない、というような声もあった。

 私はそうは思わなかった。もし小説がなんの助けにもならないのだとしたら、小説はすでに滅びているはずだ。

 それから、小説には現代性・社会性のあるものとそうでないものがあって、あるものは価値があるけれどもないものはいまいちなんじゃないか、という考え方があって、それもそのころ、やや声高に問いかけられていた。すでに、何人かの目立ってすぐれた小説家が、震災や原発を取り扱ったすぐれた小説を発表していた。すごいと思った。それらの小説は、小説になにができるのか、小説の役割とはなにかを静かに、確実に世間に見せつけていた。でも、私はそもそも小説には現代性・社会性のあるものとそうでないものがある、という考え方自体には疑問を持っていた。現代に生きていて、社会以外の居場所はないのに、現代性・社会性からまったく自由である小説なんて書くことができるのだろうか? それに、小説が現代や社会を映す一方だと考えるのはつまらない。世界の方こそ、いつか小説を映すのだ。私はそう信じている。だから、こんなに現実に似た世界が描かれている小説に、漫画の主人公であるフキンシンちゃんがしれっと登場するのは、私にとってはちょっと感動的なことなのだ。

 いずれにせよ、震災はたしかに決定的な出来事だった。とりとめがなくて捉えどころがない世界を文字通り揺るがし、割った。けれど、震災のその瞬間パジャマで寝癖のままドラマを見ていた私に、世界はまたあっというまにとりとめがなくて捉えどころがない顔を向け、私はいつものようにそのとりとめのなさに呆然としているだけだった。重要なのは、震災前の世界に戻ったわけではなかったというところだ。世界は私にとってさえ、震災後であるという注釈付きの世界となった。それなのに、やっぱりとりとめがなくてもうどうしようもない。

 それを、長嶋有は書いた。

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問いのない答え
長嶋有・著

定価:本体790円+税 発売日:2016年07月08日

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