それはともかく、例の命がけの黒船密航計画はあえなく破れ、罪人となってしまった。「第三章 第一回在獄時代」となる。しかし、不思議なことに「在獄」という恐ろし気なタイトルなのに、松陰にとって悪くない時期に思えるのである。松陰の志を実父の百合之助も理解してくれたし、藩一番のうるさ方長老村田清風までもが、
「是は極くよい事をやつてくれた。何か思切つた事をせんければ役には立たぬ。ぐづりぐづりして居ては埒が明かぬ」(第三章 第一回在獄時代)
と、ほめてくれているのである。
江戸から故郷に戻されて、野山獄にいた時代には、松陰は同囚のために「孟子」や「論語」を講義し、牢獄の役人である司獄までも弟子入りする人気ぶり。夜間講習のため従来禁止されていた点灯までも許されたという。松陰の教育というと「松下村塾」に注目が集まりがちだが、こんな奇跡のような教育現場もあったのかと感動する。しかし、私は、本書を読み進むうちに、松陰の教育は奇跡でできたわけではないことがわかったのだ。本書は、松陰の「学問の態度」を明確に分析する。たとえば、「学派に拘泥せぬこと」「聖人の偶像崇拝的態度を否定すること」。これは、まったく現代にも通じる内容ではないですか。松陰の場合、そこに「実践に徹すること」も加わる。なんたって、自分で長崎、東北、江戸を歩き、実際黒船にも乗船しちゃってるんですから。こんな学者の話が面白くないはずがない。松下村塾に藩のエリート家系の高杉晋作が夜中の道を3キロも歩いて通ってきたというのには、やっぱり理由があるのだ。
それだけに再び江戸に送られ、処刑により最期を迎えるまでの「第五章 再獄時代」「第六章 殉難前後」を読むのは、辛く、悔しい。特に両親や妹たちへの言葉には、胸打たれる。別れの朝、一族に挨拶した後、言葉を話せない弟敏三郎の手をとって、
「お前は物が言へぬが決して愚痴を起さぬように万事堪忍が第一」(第六章)
と最後の教えを伝えたという。どれほどの思いがそこにあったか。
松陰の最期は実にりっぱであった。その堂々たる様子について立ち会った八丁堀同心や実際に白刃を振るった浅右衛門自身が証言していたことも、私は本書で初めて知った。
本書は、昭和9年から刊行された「吉田松陰全集」がベースである。偉人の伝説めいた逸話はなく、あくまで史実と向き合う姿勢で、引用史料には漢文も多く、歯ごたえはしっかりある。小説やドラマのセリフとは一味違う、当時の記録の言葉から、「人間吉田松陰」をつかまえたい。そんな読者のチャレンジ心をくすぐる1冊である。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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