
短編小説「ラブ・レター」秘話
浅田 そのころのことで思いだすのは、『蒼穹の昴』は講談社の保養施設に缶詰めになって書いていまして、一気に書こうと意気込んで入ったんですが、考えてみたら1800枚を一度に書けるわけはないんですね。書いているうちに飽きちゃって、ガラッと窓を開けたら、隣に中国人ばっかりがいるバーが見えて、そこの2階に住み込み用の二段ベッドがギッシリあるのが見えたんです。で、向こうから手を振るんですよ。べつに僕はその怪しいバーに行ったわけじゃないんですよ、断っておきますが(笑)。気分転換に違う小説を書こうと思って、それで「ラブ・レター」っていう短編小説を書いた。まさに見たまんまの小説。この短編が『鉄道員』に収録されて、それが直木賞を獲った。だいたい缶詰めにされてるときは、缶詰めにされている原稿って書いてないですね。
――そういう不実な方がよくいらっしゃるんです。われわれが一生懸命お待ちしているのに、全然関係ない原稿を書かれている。
浅田 この司会の人は、若いころ、僕の担当だったんですけどね、文春という会社には缶詰めにする部屋があるんですよ。
林 「残月」じゃない?
――林さんの頃は「残月」という和室だったんですが、浅田さんの頃はビジネスホテルのシングルルームのような形態になっていました。
浅田 そこで缶詰めにされて、この人に、「そこに籠って短編1本書きなさい」って言われてね。書き上がって渡したら、ここを、もう1回書き直してください、って言われて。
林 ちょっと! そんなことしてたんですか!
浅田 ホントにそう(笑)
――表現に誤解があるように思うんですが。「これはたいへん素晴らしい小説ですね、ただ……」
浅田 「ただ、ちょっとこうしたらいいんじゃないですか?」と。
――それは一応、編集者として申し上げました。
浅田 その意見に沿って改稿したら、さらに意見を言われて。もう書き直しなんかできないんで、怖いから原稿を置いて逃げたんです、裏の守衛室のところから(笑)。
――先生はもうお帰りになりましたと言うんで缶詰め部屋に行ってみたら、原稿があるだけでご本人はいらっしゃらなかった。
浅田 そういうことがありましたね。