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受験で蒸発してしまった知識よ、今再び。赤本、青本より軽いです

受験で蒸発してしまった知識よ、今再び。赤本、青本より軽いです

『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』 (片山杜秀 著)


ジャンル : #ノンフィクション

『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』 (片山杜秀 著)

――世界史と日本史。大学入試の歴史の問題に取り組んできていただきましたが、これで一区切りです。

片山 歴史の本質に深く切り込んでくる問題。大きな構図がきちんとわかっているのかと堂々と寄せてこられて参りましたという問題。こんな細かいことを尋ねてくるのかと思わずたじろぐ問題。イデオロギー色の強い出題意図に戸惑わせられる問題。本当にいろいろでしたが、改めて感心するのは、これらの問題を解くために必要な知識は、すべてとは言い切れないけれど、およそだいたいは高校の日本史と世界史の教科書に載っているという事実ですね。日本の高校教育は教科書通りにもしもやられているとすれば、やはり大したものですよ。その教科書を読み込み、参考書も積み上げ、覚えることを覚えぬいて、各大学が入念に準備した難問をこなして点を取り、毎年、日本に大学生が誕生している。物すごいことではありませんか。

――しかし具体的に覚えておかねばならぬことが、やはり多すぎはしませんか。

片山 そうですね。歴史ひとつとってもこれだけ勉強しなくてはいけないとすると、大学に入った時点で燃え尽きているように見える学生さんがいるのも、なるほどと思います。確かにたいへんですよ。こういう問題に対応する知識を蓄積し、能力を高め、無数の事柄を暗記し、受験という勝負に人生をかける。青春を捧げる。泣けますね。

 私は高校生のときそれがいやで堪りませんでした。受験拒否というか。試験なんかで選別されるのは御免だというか。しかし、自分で言うのはなんですが、学校の成績は悪くなかった。国立一流大学を狙うように高二のとき担任教師から受験指導の面接で言われました。でも拒否。高校の成績を武器にして、高校にやってくる私立大学の推薦入学の口を利用して、高校からの内申書と推薦状、および面接試験だけで私大に入ることに全力を傾注しました。入試のための勉強をせず、筆記試験を受けないで、大学に入る。それだけを考えましたね。

――どうしてそんなにいやだったのですか。

片山 さあ、自分のことはよくわかりませんが、こんなことなのかなあと。個人的な話になって恐縮ですけれど、私は小中高一貫教育の私立学校で十二年間育ちまして、受験慣れしていなかった。中学受験も高校受験もしていない。しかしその間、苛烈な受験戦争の話は世の中に満ちているし、兄弟や親戚が受験で苦労しているのをそばで観ますから、もう恐怖症になってしまって。偏差値とか聞いただけで具合が悪くなってしまう。

 小学校受験はしたんですよ。幼稚園のときは塾に通いましたから。人生で塾や進学予備校のようなものに行ったのはそのときだけで。軽井沢に籠もる小学校受験対策用特別合宿にも幼稚園最後の夏休みに行きました。一九六九年の八月でしょう。わたくし、同年四月二十八日の夜に都心で「沖縄反戦デー」の騒乱状態、機動隊と学生の激突を間近で目撃しまして、火炎ビンを本当に投げて道の真ん中で燃えるんですよ、これに衝撃を受けまして、わたくしの個人史では相当に大きいことなのですが、それからほぼ三カ月ちょっとして軽井沢の合宿だったということになります。一週間くらいだったか。いや、四泊五日でしょうか。もちろん親は付いてきません。家庭と完全に切り離されて集団生活です。まだ満五歳ですよ。しかも行楽ではないのですから。朝から晩まで入試シミュレーションです。かなりつらい。今思うとちょっとありえない。高原を歩かせられて毒虫に刺されて足や腕が腫れてしまって。よく覚えています。

 けれどもそこで具体的に何を勉強して受験に何か役立ったのかとなると、まったく記憶にございません。欠落しています。私の場合は小学校受験で燃え尽きたのではないですか。だから合格したら解放されてその前の勉強を忘れてしまった。虫に刺されたことと薬を塗っているときの様子とかね。宿舎の部屋で旅客機のプリントの入ったシャツを畳んでいるところとか。そういう勉強以外の箇所はいろいろ覚えていますが、肝腎の受験勉強については空白です。もう二度と入試は御免だと思ったのでしょう。六歳で安心して燃え尽きたんですね。その先はずっと遊ぼうと思う。そういうものの考え方にとらわれて高校生まで来ていたと思います。趣味最優先。人生の指標はこれしかなかった。とにかく二度と入試は嫌だという思いと、でも当時置かれていた環境からすると大学進学放棄という選択はしにくいという思い。この二つの思いが複合して高校生の私をああいう行動に向かわせたのでしょう。

 だから大学受験生が合格して燃え尽きて勉強の中身をたちまち忘れることがあるとすれば、それは私も小学校受験のことを思い出せば自分なりに分かるつもりですし、そう考えないと理解できないこともあります。というのは、私は大学で「近代思想史」や「政治学」や「歴史」など、広い意味での歴史にかかわる講座をいろいろ受け持ってきましたが、学生さんの歴史の知識がですね、受験で歴史の勉強をしてきた人も多いはずなのに、そういう手応えを感じない。もともと学んでいない人は仕方ない。が、学んだはずの人もだいぶん忘却している。受験勉強で得た知識は合格すると蒸散しまう。楽しい知識として定着しない。だとしたら、自分のことを棚に上げて申しますと、やはり残念なことです。

――すると片山先生の場合は、歴史は趣味ですか。

片山 実はそういうところはあるのです。幼稚園時代から見まくった戦争映画と小学生でかぶれたNHK大河ドラマの影響で歴史は趣味になっていたのです。司馬遼太郎、海音寺潮五郎、吉川英治も愛読しました。中学高校ではクラブ活動は歴史研究部。実地見学を伴えるものを研究対象にするので、日本史オンリーで、休みには日本各地を巡っていました。東京に居りましたが、そこからどっちの方角にも行きましたね。網走刑務所とか、胆沢城とか、多賀城とか、会津若松とか、富士山一周浅間神社廻りとか、伊勢神宮とか、橿原神宮とか、丸岡城とか。京都はなんだかんだと行っていたなあ。回れるだけ回っておりました。

 ただ、顧問の先生が宮本常一の系統の人で。こちらは武将や軍人や政治家とか、あるいは官制とか、さらには宗教のような観念的なものに興味を持ちたがるのに対して、先生は「宮本民俗学」ですから、漁法や農法、漁具や農具、土地所有のならわしなどにこだわりがあって、子供としてはその面白さが分からない。大学以後、民俗学の本をやたら集めるようになっていって今日に及んでいますが、それはあくまで後のことで、東京暮らしで空想に走ってばかりの子供には、宮本常一の意味はなかなか分からなかったですね。なぜ、うちのクラブの部室には宮本常一の著作集が揃っているのかとか。漁網がどうした、国有林がどうしたと言われましてもね。中学生でクラブに入って初めて部室に入ったとき、すっかり首を傾げました。

 そういう謎や疑問はいつもたくさんありましたが、歴史が趣味で楽しみなのには変わりなく、そのせいで歴史の授業を暗記物で辛いと感じたことも一度もなかったですよ。釣りの好きな人が魚の名前を楽しく覚えるのと同じで。試験をされるのは気に入りませんが、好きなものは自ずと覚えるのが当たり前ですから。強いて勉める必要はまるでありませんでした。

 でも、大学入試は避けて通ろうとしていたせいで、大学入試の歴史の問題をやってみるということも、高校時代には予備校にも行かなかったし学校の授業時間に模擬的にやらされもしませんでしたから、この年になるまで実はまったくありませんでした。こうした問題が解けるか解けないかで人生が左右されるのか。改めてびっくり。避けて通って逃げおおせて時効もとっくに迎えたと安心していたら、一生分が突然、降ってきた感じですね。人生、どこかで帳尻は何者かの力によって合わせられてしまうものだなあと。

――いかがでしたでしょうか。

片山 十代後半で問われるにはあまりに重量級の、言わば世界観が問われるようなものがけっこうありました。いくら高校や予備校で習っても、政治、経済、宗教、社会、軍事まで、全部が絡むような、大きな歴史の歯車そのままの大問を、若くして味わいきるのは至難の業と申せましょう。その意味で、大学入試の歴史の良問は、やはり本当は大人のためにあると言いたいですね。大人になって、この国の政治や経済や社会のよさや悪さ、世界情勢の複雑怪奇さを受験生時代よりははるかに実感できるようになって、どうしてそうなっているのかを理解したくなってきたとき、はじめて歴史を自らの欲求として学びたくなるものではないですか。

――歴史は子供のものではないということですね。

片山 そうなんですよ。そして歴史を知るためには大学入試問題に挑んでみるのはとてもいいと思いました。思考や知識の整理を迫られるし、できなかったからといって不合格になるわけではないから、何もプレッシャーを感じる必要はありません。

 いわゆる「赤本」や「青本」など、大学入試問題とその懇切丁寧な解説の出ている受験参考書ですが、あれを大人の教養書として、「頭の体操」の本として、通勤や旅行の友にするのもありなのではないでしょうか。しっかりした大学ほど、出題のテーマを現代の最新の出来事と深いところで絡めてきますから、アクチュアルに歴史を学ぶにはまさにうってつけです。ただし「赤本」や「青本」は、持ち歩くにはちょっと重いですけど(笑)。

(「おわりに」より)

片山杜秀(かたやま もりひで)

片山杜秀

1963(昭和38)年生まれ。思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。著書に、『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『音盤考現学』『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング、吉田秀和賞、サントリー学芸賞)、『ゴジラと日の丸』(文藝春秋)、『未完のファシズム』(新潮選書、司馬遼太郎賞)、『国の死に方』(新潮新書)、『クラシックの核心』(河出書房新社)、『見果てぬ日本』(新潮社)など。

文春新書
大学入試問題で読み解く
「超」世界史・日本史
片山杜秀

定価:946円(税込)発売日:2016年12月20日

電子書籍
大学入試問題で読み解く
「超」世界史・日本史
片山杜秀

発売日:2017年01月06日

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