三部作の最後をしめくくるこの『一刀斎夢録』もまたその魔力を発している。
全編を通しての物語の聞き役は、近衛師団の梶原という中尉である。
梶原は剣術の名手で全国武道大会の決勝にまで進むほどの腕前だ。武蔵多摩の出身で、子どものころから、ご当地流の天然理心流を学んでいた。
明治天皇の崩御によって、年号が大正に替わった。乃木大将が殉死したりして、時代が移り変わっていくなかで、梶原中尉はいささか調子を崩している。警視庁の道場で榊吉太郎と稽古をしたあと榊を酒に誘う。榊は梶原より十歳年上で、武道大会で五年連続優勝している猛者である。
榊は自分には師匠はいないが、「師と仰がずにはおられないお人がいる」と話す。
「剣の奥義は一に先手、二に手数、三に逃げ足の早さ」
その人物は榊にそう教えたのだという。この奥義を聞いて梶原中尉はその人物に興味をもつ、というところに説得力がある。
そこから語り手はしばらく榊に代わり、ぐいぐいと引きずり込まれて気がつけば、読者はいつの間にか、本作の主役である新選組副長助勤で三番隊長斎藤一の語りに酔わされている。
梶原中尉が酒を手に、毎晩、一刀斎こと斎藤一の家を訪ね、新選組のころの昔話を聴くというのが本作の趣向である。浅田さんはアルコールを召し上がらないのに、よくまあ酒飲みにまとわりついている雰囲気をお書きになるものだと感心させられる。
いまさらここで斎藤一の話しぶりをなぞるつもりはないが、語りが巧みであるということは、なにも立て板に水を流すような口調で言葉がさらさらと小気味よく流れているということではない。その流れのなかに砂金のようにきらめく言葉がちりばめてあるということだ。
さきほどの奥義がその何よりの好例であるし、斎藤一が語る近藤勇の教えに、またすばらしく輝きのある言葉がある。
斎藤一は生まれついての左利きであることに悩んでいた。それまでどの師匠も右利きに直せと教えたが近藤だけは違った。左構えが卑怯だと言われぬかと案じている斎藤に、近藤勇はこう断じた。
「剣というものは、畢竟、斬るか斬られるかだ。おのれが斬られずに相手を斬るためには、さまざまの工夫をしなければなるまい。それを卑怯というてどうするね」
試衛館道場に立つ近藤勇の姿と顔がまざまざと浮かんでくる。近藤勇が浅田さんに憑依したかと思うほどの迫真性がある。
一刀斎夢録 上
発売日:2013年10月04日
一刀斎夢録 下
発売日:2013年10月04日
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