書評

『一刀斎夢録』解説

文: 山本 兼一 (作家)

『一刀斎夢録 上下』 (浅田次郎 著)

 幾夜も続けて話を聴くうちに、近藤ばかりでなく多くの隊士たちのさまざまな顔がみえてくる。各地の戦場での彼らの戦いぶりや最期がどうであったかが眼前に浮かぶ。夜ごと斎藤が語る伝説の剣客たちの姿を聴くうちに、梶原中尉の目が開かれていく。『壬生義士伝』では吉村貫一郎の家族への思いが語られ、『輪違屋糸里』では、女たちの目から見た新選組の姿が語られ、本書では、斎藤一によってついに剣の奥義が語られたのである。

 さきほどの「一に先手……」は奥義のほんの入口に過ぎない。維新の艱難ののち警視庁に奉職した斎藤一は、明治になって西郷討伐に出向いた。そこで、西郷軍に属しているかつての新選組隊士にして、唯一の教え子であった市村鉄之助と相見(あいまみ)えた凄絶な体験を語る。

「……奥伝の一巻は、おぬしにのみ授けた。もはや技でもなく、心でもない。勝つると負くるの正体を知る者こそが、天下第一等の剣士なのだ」

 深更まで耳を傾けてこの壮絶な奥義を伝授された梶原は、その翌日、宿敵榊との天覧試合に、たしかな気持ちで立ち向かう。

 わたしが『火天の城』という作品で松本清張賞をもらったとき、選考委員に浅田さんがいらした。

 翌年の清張賞のパーティーで、また浅田さんにお目にかかったので、ご挨拶するとわたしの仕事のようすを訊かれた。

「おかげさまで注文はたくさんあるのですが、なかなかうまく書けずに苦労しています」

 そう答えると、浅田さんは真顔で深く頷いた。

「作家というのはね、面白い作品を一つだけ書いても駄目なんです。面白い作品をたくさん書かなければいけません」

 生真面目な顔でそう仰ったので、自動的にわたしの肝に深く刻まれてしまった。新人の書き手にとっては、たいへん重い言葉であった。

 ――そんなことができれば、苦労しません!

 そう叫びたかったが、口にできることではない。

 もちろん、浅田さんとて、やすやすと語りの術を手にされて、面白い作品ばかり をすらすら書き続けてきたとは思わない。その裏側にいかほどに深い研鑽があったのかを思うばかりである。

一刀斎夢録 上
浅田次郎・著

定価:672円(税込) 発売日:2013年09月03日

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一刀斎夢録 下
浅田次郎・著

定価:704円(税込) 発売日:2013年09月03日

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