──読者にとって非常に助かるのは、映画やテレビドラマ、舞台にしても、その内容と役柄と自分の演技のことをきちんとお書きになっていらっしゃることです。これはよかった。
岡田 最初は、それを書くとすごく長くなると思いました。でも、吉田の助言で、題名を書いただけじゃわからない、ちゃんとあらすじも書きなさいと。今度はそれの資料探しが大変でした。実際、それでちょっと長くなってしまったこともあるんですけれど、そうおっしゃっていただけるとうれしいです。本当にいろんなことをやってきたでしょ(笑)。
──自伝には、ふつうはプライベートなことを書くという態度があると思いますけれども、この本では、それと同時に、一九五〇年代の日本映画の全盛期、六〇年代のテレビ草創期から興隆期に重なる日本映画の衰退があって、それで七〇年代の独立プロによる映画製作へというふうに、大きな社会的構造の変化があって、それに対する貴重な証言になっているという気がします。
岡田 はい、それが書きたかったんです。女優としては二度と誰もできない歩き方をしてきたと思うので、これは絶対に書き残しておかなければならないと思ったんです。おそらく誰も経験できなかったし、これからもできないと思います。
── そう思います。日本がモダンな欧米的な映画を本格的につくろうというときにトップをきった人が岡田時彦で、まさに日本のヴァレンティーノですよね。日本がハリウッドを真似て、そういうレベルでやろうとしたときの男優です。惜しくも夭折されましたが、娘の岡田茉莉子という女優は、日本映画が産業としてピークを迎えて撮影所がフル回転して、スターを中心に日本映画が回っているときにトップスターだった。僕がすごいと思うのは、それで撮影所が終わったからもう私は映画に出ませんという引退じゃなくて、実はそこから最左翼の、いちばんアバンギャルドな映画創作活動に入って、そこで世界基準になるわけです。松竹にいたときまでは日本映画史のトップだったのが、今度はアントニオーニやゴダールとかと、世界のいちばん新しい映画を担う吉田喜重作品のヒロインになる。これ自体がとてもドラマチックだし、誰にもできなかったことです。しかもますますラディカルになってきている。だって、シンポジウムでも爆弾発言ばっかりですよ。「日本の映画は男性中心の映画です!」とか(笑)。
岡田 いつも崖っぷちを歩いてきたから鍛えられたんです。人が歩いていないところを歩いてきました。選んだわけでもないのに、なぜかそう。振り返る時間はなかったんです。たぶん生まれ変わっても変わらないと思います。昔は生まれ変わったら男になりたいとか思っていましたけれど、また同じ人生を歩くかな。死んでも女優ですね(笑)。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。