昼間、義父に商売(あきない)を学んだ梟助は、早目の夕食を済ませると新妻と毎夜寄席に通う。周りの客がなぜ笑っているのかさえわからなかったが、新妻に教えられて、急速に洒落(しゃれ)や粋がわかる商人に成長する。また読み書きを覚えた梟助は熱心に本を読むようになるが、なぜなら知識が得られるのがうれしくてならないからだ。
商家の婿になったものの、商人や商売が厭でならなかった梟助は、息子が一人前になると店を譲り隠居する。残念だったのは、その直前に妻を亡くしたことであった。
隠居した梟助は、家族や奉公人には内緒で鏡磨ぎを始めた。客は女性だが、旗本や商家の若旦那なども贔屓(ひいき)になって、梟助が来るのを楽しみにしている。落語好きで読書家の梟助は、話題が豊富だし、話が面白いからである。
楽隠居なのに鏡磨ぎをするのは、亡妻の言葉が忘れられなかったから……との設定が実にいいし、納得できるものとなっている。
ともかく旗本や大商人の屋敷に出入りするかと思うと、声が掛かれば路傍や薄暗い土間でも仕事をする。そのため、あらゆる階層の老若男女と接することができるし、いろんな人に話すだけでなく、話を聞くこともできるのだ。また人情ものだけでなく、ホラー、滑稽、ファンタジーなどバラエティ豊かに、どんな内容でも書けるということにもなり、今後どのような話が紡(つむ)ぎ出されるかが楽しみである。
今回は「三猿(さんえん)の人」「へびジャ蛇じゃ」「皿屋敷の真実」「熊胆(ゆうたん)殺人事件」「椿の秘密」「庭蟹(にわかに)は、ちと」の六作。落語の演目がタイトルに絡んだ作が二作あるし、「熊胆~」と「椿の人~」以外は落語絡みとなっているのも嬉しい。
個々の作品について軽く触れておこう。
最初の一篇「三猿の人」では、まず鏡磨ぎの仕事ぶりが語られている。
汚れや曇り方の度合いによって異なるが、錆(さび)てしまった場合は、鑢(やすり)で表面をごくわずかではあるが削る。さらに砥石(といし)や極めて微細な仕上げ砥石、朴炭(ほおずみ)で磨ぎあげるのである。
そして、柘榴(ざくろ)、酢漿草(かたばみ)、梅などの酸を出す植物で油性の汚れを除き、錫(すず)と水銀の合金を塗って簡単な鍍金(メッキ)を施した。
との説明があって、そんな仕事ぶりを見ながらお得意先の後家さんが、梟助から何かと楽しい話を聞き出そうとするのである。
鏡磨ぎいっちしまいに毒をもり
という江戸川柳があって、上の説明で納得がいった。毒は鍍金用の水銀であったのだ。
第二話の「へびジャ蛇じゃ」では、梟助さんの話し相手は商家の若旦那だ。
「今日は巳年に因んで、蛇の話をしてもらおうと思って、お待ちしていたんですよ」
という注文に応えて、興味津々の話が次々と披露される。落語、民話、故事から中国の小説まで、まさに蛇だらけを示す表題も愉快だ。蛇足の謂われもあって、甚だ恐縮なのだが、川柳にはこんなのもある。
蛇責めをあぐらで話す鏡磨ぎ
加賀前田家の御家騒動で老女浅尾が蛇責めの拷問にあう話が講談にあり、これは鏡磨ぎに加賀者が多いという前提での穿ちである。
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