藤原緋沙子ファンにとってはまたとない朗報である。作者初の単行本である本書『花鳥』が、文春文庫で復刊されるからだ。本書は二〇〇四年に廣済堂出版で刊行、二〇〇五年に学研で文庫化、しかし、その後、絶版となっていた。もちろん、それだけの理由からではない。本書で作者が手がけた題材は、戦後七十年にわたる時代小説の足跡を見ていく上で、興味深い問題を示唆しているからである。この点については後述するとして、その前に作者のプロフィールと、作家としての特質に触れておく必要がある。
作者は二〇〇二年に「隅田川御用帳シリーズ」の第一巻『雁の宿』でデビュー。これが好評を博した。実は第一巻を店頭で見つけた時、新人の作品ということもあって、すぐ読んでみた。物語の主要舞台へ誘う筆の確かさに舌を巻いた記憶がある。シリーズ化されても「これはいける」と思った。なにしろ第一話「裁きの宿」の書き出しのうまさは群を抜いており、とうてい新人とは思えない筆力を感じた。女性作家らしい流麗な筆致の情景描写に始まり、それに誘われて読み進めていくと深川に縁切り寺があったという意表を突く舞台装置に出会う。
ここで留意しておきたいのは、作者が“隅田川”に注目したことである。“隅田川”は江戸の人々の心の故郷であり、作家側から見れば江戸情緒を醸し出す恰好の舞台である。言葉を変えれば読者が感情移入しやすい回路として作用する。なぜなら、登場人物をどれだけ深く描き切れるかということは、最高の情景を用意し、どれだけ深く主人公の心象風景と同一化させるかにかかってくるからだ。さらに作者はその効果を高める舞台装置として縁切り寺を設定した。男と女の間にある哀しさを描くには恰好の舞台となるからだ。
この「隅田川御用帳シリーズ」は『花鳥』が発表される二〇〇四年までに七冊刊行されている。つまり、この実績が本書の誕生の背景にあったことは確かである。事実、作者は同シリーズで二〇一三年度第二回歴史時代作家クラブ賞のシリーズ賞を受賞している。「歴史時代作家クラブ」が設立された主旨のひとつは、単行本より低く見られがちな“文庫書き下ろし時代小説”に光を当てるところにあった。作者は第一回の鳥羽亮、鈴木英治に続く受賞で、作品の面白さと、文庫書き下ろし時代小説を牽引してきた業績が高く評価されたのである。
作者の特質を考える上で、もうひとつ重要なシリーズがある。本書と同じ二〇〇四年に刊行が始まった「橋廻り同心・平七郎控シリーズ」である。時代小説を面白くする最大のポイントは、ヒーローやヒロインの“職業のユニークさ”である。時代小説、なかでも市井人情ものの場合、“職業小説”という側面をもっている。“職業”は時代を映す鏡であり、そのユニークさをフィルターとすることで、独自の小説空間の創出が可能になるからだ。つまり、“職業”を通して、江戸の情緒や匂い、時代を駆け抜けていった人々の足音を活写できるということだ。
同シリーズの主人公・立花平七郎の職業は、北町奉行所の同心ではあるが、あまり聞きなれない定橋掛(じょうばしがかり)、通称橋廻りと呼ばれる役職であることだ。通常、捕物帳のヒーロー達は与力、同心、岡っ引といった身分の違いはあっても探索方というのが常道である。ところが平七郎は探索方ではない。ここに作者の工夫がある。