それでは『花鳥』の特徴と、月光院の人物造形を見ていこう。作者はラストを次のような文章で締めくくっている。
《歴代将軍の側室・生母の中でも、月光院ほど激動の人生を送った人も少ないのではないか。
仁徳良政の将軍家宣に仕え、幼将軍家継の母として生きた月光院は、その名のごとく、清らかな女性として後々まで語り継がれていくのである。》
作者はこの月光院の人物像に触発され、その生涯の再構築に挑戦。「小説で一番大切なのは、人物をどれだけ描き切れるかということ」を作家の出発点とした作者にとって、初の単行本の題材として最もふさわしいものであった。その意味で本書は作者の原点を示す作品と言えよう。
特徴の第一は“構成の妙”である。作品の面白さは“書き出し”にストレートに表れる。作者は冒頭で「絵島生島事件」の首謀者とされ、信濃高遠藩に配流された絵島を登場させ、月光院について語らせている。「火伏の路」という意味深長な題名も印象的で、これを最終章「月光の下で」が受ける構成となっている。日本的情緒に溢れた情景を背景においた場面作りのうまさが際立った効果を出している。
第二は“初恋貫徹物語”を物語の主導線としたことである。“初恋貫徹物語”といっても、初恋が成就するという意味ではない。むしろ成就しないからこそ当事者にとっては、初恋のもつ精神性が残像となって、その後の生き方に影響を与えることになる。恋愛の王道は初恋と出会いの形而上学にある。その点で第二章「花鳥」は、本書の白眉ともいえる美しい場面である。出会いの演出が実に素晴らしい。
二人の出会いを演出したのは、花鳥、本書では鶯である。この鶯は二人の運命を象徴するもので、重要な意味を孕んだ仕掛けが施されている。個人的には花鳥には別な意味も付加されていると思う。つまり、花は月光院、鳥は自由闊達な生き方を希求していた家宣の象徴であろう。
あらためて言うまでもないが、これらは作者が創作したエピソードである。作者は「隅田川御用帳」の縁切り寺について、「私は小説を書くとき、きちんと資料を読んだ上で虚構を書くのは構わないと考えます。深川が、江戸でも後でできた町人の町ですから、縁切り寺の場所には一番合っていると思いまして」と語っている。これが物語を創る際の作者の基本的な姿勢となっていく。
本書でも月光院の生涯を再構築するにあたって、平板的な伝記的手法にとらわれず、人物像を豊かにふくらませている。月光院の側室になるまでの経路は、数奇をきわめていたといえよう。側室になってからは史実的にわかっていることが多いのだが、少女時代については不明の点が少なくない。作者はそこに着眼し、独創的なエピソードを織りまぜることで、人物造形を刻んでいったのである。要するに近松門左衛門のいった“虚実皮膜”の作劇法である。特筆すべきことはこの手法によって、元禄期の時代相が鮮やかに浮かび上ってくることである。
もうひとつ見落してはならないことがある。「娑羅双樹」の章に次のような場面がある。
《――自分を見失ってはいけない……。
左京の方(月光院)の胸は、熱い思いにひたひたと満たされていた。》
この場面にはどんな逆境の中にあっても、凛々しく生きて欲しいという作者の祈りがこめられている。女性読者に向けた作者の応援歌でもある。
以上だが、三作品を読み較べてみるのも一興である。
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