当然のことながら、タイトルの『壺霊』は連載開始以前に決まっていました。これは実は珍しいことで、書き下ろしの場合には、執筆の途中、あるいは脱稿した後にタイトルが決まったり変更したりするケースがほとんどです。『壺霊』というタイトルにしたからには、何か壺(つぼ)にまつわる怪談ばなしのような性格が連想され、またそういうテーマで書かなければ羊頭狗肉(ようとうくにく)の誹(そし)りを免れません。それに骨董(こっとう)にせよ幽霊にせよ、いずれも京都には相応(ふさわ)しい題材ではありました。老舗(しにせ)の骨董店をいくつか訪ねたり、「大骨董市」というイベントを取材したりするうちに、自然発生的に物語の全体像が見えてくるような予感がしたものです。
取材の対象は多岐にわたりましたが、中でも最も衝撃的だったのは「安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)」の「縁切り縁結び碑(いし)」でした。巨大石に願文を書いた紙(形代/かたしろ)がびっしり、幾重にも貼られている。「○○と別れさせてほしい」とか「○○の気持ちをこっちに向けさせて」「○○と××の仲を裂いて」などというのから、中には「○○を殺して」といった物騒なものまでいろいろ。奉納者のほとんどが女性で、相手の名前や自分の名前を実名で書いているのもあって、女の妄執の恐ろしさをあらためて実感しました。そしてこれが『壺霊』の全編を貫くモチーフとなったのです。
壺から思いついて、たまたま取材に訪れた「京都造形芸術大学」で出会った女子学生がヒロイン・伊丹千寿のモデルになりました。彼女が制作中だったオブジェの壺は、作中では浅見が「白いイクラ」などとひどい感想を述べていますが、実際はなかなかの意欲作で、後に譲っていただいて、現在、実物が浅見光彦倶楽部(くらぶ)のクラブハウスに展示してあります。ちなみにクラブハウスでは『天河伝説殺人事件』に出てくる「雨降らしの面」や『平城山を越えた女』の「香薬師仏像」、『隠岐伝説殺人事件』の「源氏物語絵巻」といった国宝級(?)の逸品から、『崇徳伝説殺人事件』の「崇徳上皇像」、『箸墓(はしはか)幻想』の女性の肖像画などを観ることができます。
私の作品の多くがそうであるように、『壺霊』でも現実の風物や現実に起きていることが虚実ないまぜて登場します。とりわけプロローグで描いた寂光院の「放火事件」は実際にあった出来事にヒントを得たものです。寂光院には取材したし、近くの消防詰所でも話を聞きました。「寂光院炎上」が放火だったのか失火だったのか、事件は解決したのか、犯人の動機は? といったことについては、じつは私にはよく分かっていません。しかし『壺霊』の中では私なりの勝手な解釈で解決し、物語の進行上、きわめて重要な意味を持たせています。
『壺霊』には二十歳過ぎの大学生から初老の寡婦まで、大勢の女性が登場します。一つの作品でこれほど多くの女性が、それぞれ個性豊かに活躍(?)する作品は、私の作品に限っていえば、過去にあまり例がなかったはずです。いずれも京都の女性で、なかなか一筋縄ではいかないキャラクターぞろい。浅見クンは彼女たちの葛藤(かっとう)の渦に巻き込まれて、傍目(はため)にも気の毒なくらい悪戦苦闘しています。物語の最後近く、伊丹勝男が浅見の耳元で「京都の女は怖いですよ」と囁(ささや)いたのが、象徴的で、『壺霊』のモチーフはこれではなかったのかと思いました。
二〇一二年夏
(「自作解説」より)
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