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中間種は存在しないという虚妄を覆す

中間種は存在しないという虚妄を覆す

文:垂水 雄二 (翻訳家・科学ジャーナリスト)

『移行化石の発見』 (ブライアン・スウィーテク 著/野中香方子 訳)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 とはいえ、キリンのような首の長い動物が首の短い種から進化したのなら、中間的な首の長さの種の化石が見つからなければおかしいのではないかという疑問は検討に値する(実際には首の短いキリンの仲間としてオカピが現存する)。ダーウィンはそのことをよく理解していて、自らの理論が抱えるいくつかの難点について論じた『種の起源』の第六章で、この問題を検討し、一応の答を出している。第一に、化石はごくまれな特別な地形的条件でしか形成されないので、化石の記録は完璧なものではなく、さらにこれまで発見された化石はごく一部でしかないから、今後発掘調査がすすめば中間種がもっと発見されるだろうということ。第二に、種が分岐するとき一般に中間型は分布が狭く、個体数も少ないので、化石として残りにくい、といった理由をあげている。

 ダーウィンの希望的な予測は、その後のさまざまな移行化石の発見によって実現されていった。アウストラロピテクスや多数の初期人類化石は、類人猿とヒトのあいだをつなぐ移行化石である。「サルと人間をつなぐ化石は一つとして存在しない」という、キリスト教原理主義者の常套句は、まったく事実無根の偽りである。それ以外にも、本書に述べられているように、あらゆる生物に関して無数の中間化石が発見されている。たとえば、絶滅した海生爬虫類のモササウルスはヘビとトカゲの中間型であり、漸新世に絶滅した陸生哺乳類のメソニクスはクジラ類の祖先グループである。魚類から両生類への進化的な移行について決定的な証拠となるティクターリクの発見物語(ニール・シュービンの『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』参照)は、こうした化石探しが単なる運まかせの偶然によるのではなく、地球と生物の歴史についての深い考察が前提になっていることを明瞭に示している。

 本書は化石学、古生物学の歴史を描いたものとして、非常によくできている。単なる事実の羅列ではなく、化石の発見から、その意味の解明にかかわった多様な人々の営みが歴史的な背景の中で生き生きと語られている。そして、ありきたりのサイエンス・ライターではなく、現役の古生物学者でもあるところから、進化に関して明確な立場を表明していることも強みである。冒頭の「序章」で化石イーダの発見をサルと人間のミッシングリンク発見として大騒ぎしたマスコミを痛烈に批判し、結びの「終章」で進化の偶然性を強調するスティーヴン・ジェイ・グールドの進化観を詳述しているのなどはその真骨頂である。

 幼い頃にニューヨークの自然史博物館で恐竜の化石に心を奪われたという記述は、まるでグールドの話とそっくりに思われ、彼のグールドへの傾倒ぶりも納得がいく。ただしグールドのライバルであるリチャード・ドーキンスへの対抗心が過剰になりすぎているところもある。「序章」でドーキンスの「化石がなくても進化の歴史について多くを学ぶことができる……化石はボーナスのようなもので、なくてはならないものではない」という記述を取り上げて、「古生物学を見下している」と非難するのは勇み足だろう。ドーキンスが言っているのは進化の証拠は化石以外にもどっさりあり、そうした証拠だけでも進化は証明できるという意味であり、古生物学を蔑む意図はまったくないはずだ(ただし、私自身がドーキンス派だからと言われるかもしれないので、読者はそれを割引して、もっと客観的に判断していただきたい)。

 いずれにせよ、本書は現時点における中間化石の宝典であり、これを読んでもなお、中間種がいないから進化論はまちがっていると言い張る人がいるとすれば、その人は神の国の住人ではあるかもしれないが、科学の国の住人でないことだけは確かである。

移行化石の発見
ブライアン・スウィーテク・著 野中香方子・訳

定価:本体950円+税 発売日:2014年11月07日

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