- 2015.05.26
- 書評
60歳になっても浮気をやめられない
ダメ男小説の傑作!
文:北上 次郎 (文芸評論家)
『無罪 INNOCENT』 (スコット・トゥロー 著/二宮磬 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
突然だが、翻訳ミステリー大賞シンジケートというサイトがある。翻訳ミステリー大賞を立ち上げた日本の翻訳家の方々のサイトだが、そのサイトの「翻訳ミステリー長屋かわら版」というコラムで田口俊樹(親しい友人なので敬称略)が私のサビッチ評に対する反論を書いたことがある。その反論の骨子は次の三点。
①サビッチは心を病んだ奥さんのために寄り添って生活しているいいやつだ
②浮気は二回だけで、しかも今回は肉感的な若い女性がむこうから言い寄ってくるから、これをはねつけるのは困難だ
③それを「ダメ男」とは何事だ
で、私は、次のように再反論した。奥さんの看病というか、一緒に暮らすことはこの男の善良さを意味しているが、そのこととダメ男であることは矛盾しない(ここではダメ男小説の永遠のベスト1、石和鷹『クルー』の主人公の例を出した。こちらの男は余命いくばくもない妻が入院している病院にきちんと見舞いにいく。遊び歩いているわけではなく、善良な男といっていい。ただ、その病院の待合室で女性を口説いてしまうのである。すなわち、善良でありながらダメ男なのだ。このように矛盾しない例はたくさんある)。問題は二点目だ。サビッチの浮気は二回だけ、とどうして田口俊樹は言い切るのか。それはおそらく本文の次のくだりをもとにしているのだろう。
「結婚して三十六年になるが、州兵の基礎訓練を受けていたころ、酔っぱらってステーションワゴンのなかで女と寝たことをべつにすれば、妻以外にわたしが知った女は一人しかいない。あのとき、やむにやまれぬ狂気に突き立てられて道をまちがえ、快楽に溺れた結果、わたしはそのまま殺人容疑で法廷に引き出されることになった。おなじ過ちをくり返すことなかれ、という警句がわたしほどふさわしい人間はこの世にいないだろう」
この記述に出てくる「妻以外にわたしが知った女は一人しかいない」というのは、『推定無罪』で殺害された女性検事補のキャロリンだ。それから二十年、今度のお相手は上席調査官のアンナで、彼女が二人目だというのだが、その間本当にただの一度も浮気しなかったろうか。かなり怪しい、と私は思う。こんなにふらふらしているやつが、しかも全然懲りないやつが、その間清廉潔白であるとは信じがたい。そんなのは本人が言っているだけで、嘘の可能性が高い。
三点目は、ダメ男であるという私の断定が、田口俊樹にはマイナスの印象を与えたのかもしれないので、こう付け加えた。再反論の結びはこうだ。
「つまり世間的にダメ男であっても、私、そういう男たちが好きなのである。かぎりなく共感を抱くのである。田口よ、私が貴君を好きなのも、一緒に酒を呑んで楽しいのも、貴君が私と同様に、ダメ男であるからなのだ。サビッチは、実は私たちなのである」
話がやや飛びすぎた。最後になるが、本書『無罪』のラスト近くでサビッチがまたまた新しい女性に心を寄せるくだりがあることに留意したい。
「彼女は善良な女性だ。おだやかで、思いやりがあり、控えめだ。彼女といっしょになることはなさそうだ。それは時が教えてくれるだろう。だが、つきあったおかげで一つわかった。ローナを好きにならなくても、別の誰かを好きになるだろう。また恋に落ちるだろう。それはわたしの性格なのだ」
サビッチは自分のことをわかっているのだ。六〇歳になっても「別の誰かを好きになるだろう。また恋に落ちるだろう」と思っているのだ。ようするに、懲りない爺様なのである。たぶん、サビッチが私たちの前に現れることはもうないだろう。年齢からいって、みたびの登場はないと思われる。しかしこの男は幾つになっても、ふらふらし続けるに違いない。こうなったら、そういう永遠のダメ男であってほしいと思うのである。
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