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西村賢太さんの孤独のエレガンス

西村賢太さんの孤独のエレガンス

文:小島 慶子 (エッセイスト・タレント)

『小説にすがりつきたい夜もある』 (西村賢太 著)


ジャンル : #随筆・エッセイ

 田中英光は、そんな自身を綴る筆の率直さで、二十歳の西村さんを魅了し励ました。

「何しろ、文章が篦棒なのである。ヘタすぎて、これが純文学か、こう云うのでも純文学であっていいのか、とまず驚き、次いで内容の共感できる面白さに圧倒されてしまった。(中略)この人からは、私小説を書く上で上手い文章や気の利いた自然描写なぞはほぼ無用であることを学んだ。それを知らなければ私は今、人前に出す文章なぞ怖くて一行も書けなかったに違いない。」(『私小説五人男』より)

 確かに「気の利いた自然描写なぞ」は、ただ読者を感心させたくて自分のステキな感受性を描写するのに違いないのだから、全然エレガントではないのだ。

 私小説とは、見たいように世界を眺めて自分がその主だと勘違いする強欲を戒め、自分を他者に一方的に重ねるのを潔癖に避けることで、かろうじて現実と繋がっていようとする試みなのかもしれない。それは破滅的で偏狭な取り組みのように見えて、実は礼節を知ることでもあるのだろう。

 表現においては繊細で謹厳な視線を我が身に注ぐ西村さんだが、かつての同棲相手に対する感情はかなり身勝手でしみったれている。『色慾譚――飽食の季節』で秋風に吹かれて感傷に浸っていると思ったら、風俗に行くお金を惜しんで、ただで事に及ぶことのできた相手を懐かしむというサイテーぶり。

「いわば恋愛の本然のプロセスには及び腰で、ただひたすら肉慾の情のみに突き動かされている次第に他ならないから、見方を変えれば案外精神的には立派な草食系と云うかたちになってしまうのやも知れぬ。」(『草食系とは』より)

 じっくりと人と関わることにとても臆病なようなのである。

「自慢ではないが、友達なぞと呼べる間柄の者は、ただの一人としていやしないのだから」(『色慾譚――前口上』より)ともあるが、これだってほんとのところは友達が何かがよくわからないのではないかと思う。きっとほとんどの人は何が友達かなんてよくわかっていないのだが、よくわからなくても当人同士が「友達だよな!」などと言ってしまえば疑いもしなくてすむものを、私小説を書かずにはいられないような人は、いちいち律儀に期待して検分するものだから、まるでタマネギをこれでもかこれでもかと執拗に剥き進んで、失くしてしまうようなことになる。有名人になって浮かれたり、もう恋人はできないのかと寂しがったり、お金がないとこぼしたりする無防備さを持ち合わせながら、そうまで疑り深い性分を生きるのはしんどかろう。 

 私が西村さんをエレガントだと言うのには、そういう理由があるのだ。「書き手が十全の客観性を得てないネタが、何んで私小説になるものか。」(『色慾譚――前口上』より)と西村さんは言う。この随筆集は、貫多の独り言ほど生々しくはないけれど、むしろまだ小説になるほどの客観性を得ていない西村さんの繊細な心情を窺い知れる、味わい深い一冊なのである。

文春文庫
小説にすがりつきたい夜もある
西村賢太

定価:693円(税込)発売日:2015年06月10日

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