月刊誌『文藝春秋』や『オール讀物』での連載をもとにした『名画の謎』シリーズは、これまでに「ギリシャ神話篇」「旧約・新約聖書篇」「陰謀の歴史編」が刊行されました。今回の「対決篇」で4弾目となります。
「対決」とはつまり、2作品を比べること。比べてみて初めて気づく意外性があり、絵画鑑賞がいっそう楽しめるのでは、と思った次第です。同テーマ別画家作品については、これまでの著書でも何度か取り上げました。国も時代も文化も異なるのですから、絵が全く別ものになるのは当然と言えましょう。
「ギリシャ神話篇」から一例をあげると、太陽神アポロンとスパルタ王子ヒュアキントスの有名な悲劇(ヒヤシンスの花誕生譚)――アポロンの投げた円盤が西風のいたずらで急旋回し、いっしょに遊んでいたヒュアキントスを直撃して命を奪う。少年の流した血が白い花を赤く染め、それがヒヤシンスと化す。
フランス人画家ブロックは神話に忠実な描写をしています。吹きつのる風、矢筒を背に負う太陽神、その腕の中で死につつある美少年、足もとの円盤とヒヤシンス。ところが全く同じシーンなのに、18世紀半ばのイタリア人ティエポロ作は難物です。なぜなら背景はテニスコートで、おおぜいのギャラリーが見守る中、一人が倒れ、もう一人がパニックになっている。どうやらテニス・ボールが腹を直撃したらしい。もちろん神話のモチーフはそこここに(円盤の代わりのボールなど)隠れていますが、読み解きは大変です。
実はこれ、注文主のアイディアでした。ドイツ人伯爵でしたが大のテニス愛好家で、祖父を(絵と同じように)テニス事故で亡くしたにもかかわらず、いや、だからこそかもしれませんが、神話を改変し、絵画で遊んだのです(伯爵家を訪れた人々には大うけだったでしょう)。当時テニスが大ブームだったこと、ボールが硬くて殺傷能力があったこと、注文画は必ずしも画家がひとりで構想したのではないこと、絵は時にエンターテインメントだったことなどがわかります。
「対決篇」でももちろんこうした同テーマ別画家作品は取り上げました。死者をあの世へ運ぶ憎悪の川の渡し守カロンを、パティニールは神話のイメージどおりに、一方のミケランジェロでは悪鬼のごとく、というふうに。
ですがテーマ対決ばかりではつまらない。もうひとひねりできないものかしらん。そこで対比自体にバラエティを持たせることにしました。
売れない画家を息子にもった父の悲哀と、それを感じた息子の絵筆による返答(「不肖の息子」)、老年になって初めてアメリカへ渡ったオランダ人が狂喜乱舞したニューヨークと、生粋アメリカ人が日々感じている空疎な世界(「アメリカンな大都会」)、女性画家が描く非常に珍しい夫の肖像(これは画家の人数の問題ですが)は、片や愛妻家の典型、片や妻を捨て恋人のもとへ去ろうとする姿(「夫への想い」)、同時代を生きたフランツ・ヨーゼフ妃エリザベートとナポレオン三世妃ウージェニーの不幸度(「麗しの王妃」)、最後の晩餐でイエスの前に並べられたアッと驚く食材(「美味しい食卓」)など、20章40点をそろえています。
また本作では、これまでの(日本の)美術書がほとんど無視してきた、同性愛の視点(「死んでもいい」)についても触れました。そもそも古代ギリシャ世界はそれなくして語れませんし、その流れは伝統として今に続いているのですが、なぜか見て見ぬふりをされてしまう。ストレートの画家による女性ヌードと同じように、ゲイの画家は男性ヌードを美的且つエロティックに表現しました。キャンバスにぶつけたその情熱が、一流の作品として今に残っているということを知っておくだけでも、絵画鑑賞の幅は広がってゆくのではないでしょうか。
使用絵画は全てカラーで、見開きでできる限り大きく載せ、前作どおり引き出し線によって細かい部分の解説を付けました。どうか本書でしばしの非日常空間を味わっていただけますように!
中野京子(なかのきょうこ)
北海道生まれ。作家、ドイツ文学者。西洋の歴史や芸術に関する広範な知識をもとに、絵画エッセイや歴史解説書を多数発表。新聞や雑誌に連載を持つほか、テレビの美術番組に出演するなど幅広く活躍。著書に『名画の謎 旧約・新約聖書篇』『名画の謎 陰謀の歴史篇』(文藝春秋)、『名画の謎 ギリシャ神話篇』『ヴァレンヌ逃亡』(文春文庫)、『怖い絵』シリーズ(角川文庫)、『橋をめぐる物語』(河出書房新社)、『ロマノフ家 12の物語』『ハプスブルク家12の物語』(光文社新書)、『はじめてのルーヴル』(集英社)、『残酷な王と悲しみの王妃』(集英社文庫)、『名画と読むイエス・キリストの物語』(大和書房)など多数。
著者ブログ「花つむひとの部屋」
http://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006
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