- 2011.01.20
- 書評
夢の科学者対談
文:永田 紅 (京都大学 物質-細胞統合システム拠点〈iCeMS〉博士研究員、歌人)
『「大発見」の思考法――iPS細胞vs.素粒子』 (山中伸弥・益川敏英 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
子供のころ、生き物が「どうなっているのか」を見るのが私は好きだった。夕食のみそ汁のアサリをつまみあげて、「これが入水管でこっちが出水管」とひとり納得したり、焼き魚を解体しながら食べたりして母親に呆れられたものだ。夏休みの自由研究で楽しかったのは、キノコ採集、菌糸の培養、和紙作りや石鹸作り。手塚治虫の『ブラック・ジャック』を愛読して外科医に憧れもした。算数は苦手だったけれど、理科が好きだった。
理系離れが叫ばれて久しいが、だれでも子供時代に、身の回りのサイエンス――日蝕はなぜ起こるのかとか、ラジオを分解したらどうなるだろう、蝉の羽化がどのように進むか――に夢中になったことがあるにちがいない。
本書は、だれもがもっていた、そんな子供時代の純粋な好奇心、熱中を思い出させてくれる。そして、その情熱をもち続けて研究をしているふたりの科学者の生き方をいきいきと伝える。益川敏英と山中伸弥。日本を代表する科学者の対談集である。
「小林・益川理論」による益川先生のノーベル物理学賞受賞は記憶に新しいものであるし、山中先生が作成に成功したiPS細胞は毎日のようにメディアを賑わせている。理論物理学、生命科学と研究分野は異なるものの、これほど思いがけない、そして研究を語るのにぴったりな夢の顔合わせはないのではなかろうか。
「CP対称性の破れ」や「iPS細胞」がどのようなものであるかについては本書をお読みいただくことにして、この対談の魅力は、世界的な科学者の素顔に触れられることだ。
おふたりは、以前にも二度ほど顔を合わせたことがあるとのことであるが、じっくりと話をするのは、今回が初めての機会。対談ならではの新鮮な言葉のやりとりの中で、論文やインタビューだけからではうかがい知ることの出来ない魅力的な人物像が浮かび上がる。私は山中先生と同じ研究機関に属する研究員で、今回、幸運にもこの対談に立ち会う機会をいただいた。
二〇一〇年の初夏、竣工して間もない、真新しい京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の一室。益川先生は約束の時間より少し早めに到着された。荷物を持たずに身軽にやってこられた様子には、いつも歩きながら、身ひとつで考え続けている物理学者、という風格がただよう。ノーベル賞の受賞を「嬉しくない」と言って話題になったが、その後涙を見せたり、万歳をしておどけてみせたりなど、親しみのあるキャラクターはテレビでもお馴染み。対談がはじまると、じつに楽しそうに、熱くいきいきと話される。
山中先生は水色のネクタイで爽やかに登場された。スマートだ。学生時代は柔道やラグビーで鍛えられ、今でも、どんなに忙しくても週に三日は鴨川沿いを五キロほど走られるというスポーツマンである。
おふたりの語り口は自然体で、サイエンスを純粋に面白がる、ということがつねに研究の根っこなのだとひしひしと伝わってくる。
「ふだんは僕は、頭の中で数式と遊んでいるだけ。難問を考えるのが、楽しくてしかたないの。僕にとっては、物理も数学も天文学も子供のおもちゃみたいなもの。一生をかけて遊んでもらっているという気がします」「もともと研究者のモチベーションは基本的にお金じゃありません。夜中まで研究に明け暮れているのは、人間が考え続ける動物だからです」(益川)
「予想通りではないところに、とても面白いことが潜んでいるのが科学です。それを素直に『あ、すごい!』と感じ取れることが大切」「(実験の結果を見て)そこで心からびっくりできる、感動できるというのが、研究者に必要な才能だと思います」(山中)
笑いを交えながら、話題は、子供時代の遊び方から教育論、思考法、人生の岐路や趣味にまで自在に行き来する。山中先生は考えるときにひとりごとが多くて、小学生のときに「ひとりごと賞」をもらっただとか、益川先生はモーツァルトが嫌いだとか、へえ、と思うようなエピソードも多数。
そして、ところどころに現れるキーフレーズが印象深い。科学とは、「肯定のための否定の作業」の連続である。人とディスカッションをすることで、「思考の攪拌(かくはん)作用」が起こる。「研究という作業は、短距離走ではなく、マラソンなのです」
とは言っても、研究を面白がっているだけでは生活していけない。私は今、ポスドク(博士研究員)とよばれる立場にある。ポスドクは、二、三年単位で雇用が更新されることの多い不安定なポジションで、研究を楽しむよりも、先の見えない不安が先立ってしまうことがある。今の雇用不安定な世の中、これは研究者にかぎったことではないだろう。そんなとき、山中先生のような世界的な研究者にも、挫折感を感じて鬱々とし、研究をやめようかと思った時代があったことを知り、元気づけられた。「回旋型の人生」「フラフラ癖」で大丈夫、という言葉は、説得力をもって響くのではないだろうか。
人物の生の声を聞き、考え方、過ぎこし方、人柄に接して憧れをもつこと。たとえ話されていることのすべてにその時点で反応することが出来なくとも、それらは深く心に沈んで、これからの力になるだろうと思っている。
科学が大きく動く時代にリアルタイムで遭遇する幸せと、ある種の畏怖。偉大なパラダイムシフトを成し遂げた科学者の生き方は、はるかではあるが、身近に感じることもできる。進路を決めかねている中・高校生、その両親、学生、研究者にかぎらず、ビジネスの場面でも大いに示唆に富む一冊だろう。
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