書評

証券市場を下敷きにした大河小説

文: 相田 雪雄 (元野村證券会長)

『滅びの遺伝子 山一證券興亡百年史』 (鈴木隆 著)

 太田収が信頼を得たのは大学出ということだけではない。武士の血、会津武士の血が商売の相手を安心させたのであった。又、三菱銀行の瀬下(せじも)清は、目先の相場にとらわれない若い太田の国の未来を見つめた判断に共感を寄せ、当時の証券人にはない感覚が刺戟的だったという。もう一人の理解者は第一生命の石坂泰三であった(戦後経団連会長として実業界のリーダーとなり、財界総理ともいわれた)。株式仲買人として営業しながら証券会社と名乗ったのは山一證券が最初であったことは特記しておいてよいだろう。

 然し、自然な株価の流れを腕力で左右しておいて「国のためなら株価の操作をしても構わない」という考え方には、「お家のため」刀で勤皇派を斬った大叔父佐々木只三郎の生き方に通ずるものがある。

「やがて太田収は太平洋戦争への激流に逆らって、死に至る相場にのめり込んで行く。太田収の“滅びの遺伝子”は強く山一に植えつけられるが、この劣性遺伝子は、太田が母方の大叔父・佐々木只三郎から受け継いだものであった。徳川幕府の大政奉還の直後、平和革命論者坂本竜馬を斬り、戊辰戦争への道を開いた佐々木只三郎。この忌わしい血が山一に取りつき平成の大崩壊へと続く」

 著者、鈴木の歴史の流れを透徹した眼は鋭いものがあるというべきか。

 それにしても社長太田に諫言する人がこの時の山一にはいた。ワンマン社長の買いに売り向った重役陣(木下茂など)の気概が山一を救った。だが、残念なことにその後社長となった小池厚之助は父国三の「経済界に君臨する投資銀行を創ろう」という野心を継承しなかったのであった。

 次から次へと流れるような筆は読む者を倦きさせない。戦後の混乱期の話。証取法が連合軍によって制定され、間接金融体制から証券会社(投資銀行)が中心に立って、株式と社債で産業資金をまかなう直接金融体制へ転換させる。この証券民主化の理念はGHQの日本改革の大切な柱だった。残念ながら、歴史の現実は証券民主化を実らせなかった。

 その代り、銀行は実力以上の貸付、オーバー・ローン、企業は体力を超えたオーバー・ボロウイングを抱え込む。この体制が日本経済に定着し、昭和三十年代の高度成長を実現する魔術ともなったのである。この現実のなかでは株式市場は勿論、社債市場が出来るわけもなかった。

 業者の地図では、恐らく小池・奥村という東京貴族と大阪商人の感性のちがいが山一と野村の未来を分けてゆくことになる。

 大阪商人、近江商人、伊勢商人、伊勢路は多くの著名人を株の街に送っていた。相場の名手を、そして証券経営者を。山一については太田収以来「お国のため」「新しい産業を育成する」との理念にとらわれ過ぎていたことが縷々(るる)述べられている。

 本書は丹念に文献を調べ、多くの関係者に会って直接生々しい事実を表へ出した。あくまでもザ・ファクトであり、ザ・ヒストリーである。著者は証券市場を愛している。山一がその歴史の真只中にいた。よくも悪しくも、その現実を愛情をもって滅びの美学の筆致で、山一の興亡を書いたものである。

滅びの遺伝子 山一證券興亡百年史
鈴木隆・著

定価:本体743円+税 発売日:2008年12月04日

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