何も書けない。書けないまま、時間が過ぎていく。文庫の解説なんか、引き受けなきゃよかったと思う。
この頃、書評や文庫の解説を頼まれることが増えた。もちろん本を読むのは好きだから、まずは読ませてもらう。そして、いまひとつぴんとこないと、申し訳ないけど、お断りする。読んでみて、心に響く作品であれば、「ぜひ、書かせてください」と返事をする。
ところが、そういう本に限って、何を書いていいのか、どう書いていいのか、わからない。その作品に、しっかり飲みこまれて身動きが取れないからだ。まったく、どんなふうに作品の魅力を紹介していいのか。頭の中は「!」で、気分的には「ちょっと、ひとりにさせて! ほっといて!」、英語でいえば「Leave me alone.」なのだ。そこからなんとか這いだそうと頑張っても、なかなか抜けだせるものではない。
しかしいつまでもそんなことをいっていられないので、少し頭を冷やして、気持ちを落ち着けて、この作品を思い返してみよう。
舞台は一九九六年から一九九七年にかけての東京。主人公は十五歳の女の子、藍子。印刷・出版関係のデザイン会社を経営する父と、小出版社で働いている母との三人暮らし。そこに両親の大学時代の友人、レミが転がりこんできて、居ついてしまう。
『すみれ』は、藍子とレミの物語。というか、レミのそばにいて、レミをみて、レミに憧れ、レミに辟易し、レミを好きになり、レミをずるいと思う藍子の物語といったほうがいいかもしれない。
レミは、とても魅力的だ。藍子にとっても、読者にとっても。
小学五年生くらいのとき、やっぱり父と母の友達である大人の女の人が「パパ」とか「ママ」とか、子どものわたしと同じ呼び名を使うのはおかしいんじゃないかと思って、パパたちのことを自分と同じように呼ぶのはやめてほしい、なんかへんだから、とお願いした。するとレミちゃんは、わたしをぎゅっと抱きしめて、ちょっと泣いて、だったらなんて呼んだらいいの、あんたのパパとママを、あたしが呼べるような名前を、あの人たちはもうくれないんだもん、と言った。
ほんの十行足らずでレミという人物、レミと藍子の両親との関係、レミ自身の魅力が鮮やかに伝わってくる。藍子はこのレミの反応をみて、「レミちゃんはちょっとおかしい、ふつうの人と違う」と思い、「だからわたしはそれからずっと、レミちゃんには優しくしてきたのだ」と語る。
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