小説を読んでいて、なによりうれしくなるのは、こういう文章に出会ったときだ。文章がうまいといえば、それきりだが、それだけではない。人間をみる目の鋭さ、世界を観察する目の確かさ、そういう目で捉えた現実を文字に移す巧みさ、そしてなにより登場人物に対する深い愛情が必要なのだと思う。この作品ではあちこちで、そういう文章に出会う。
レミは大学時代、小説家志望で同人誌にも次々に作品を書いて、新人賞の候補にもなった。母親の言葉を借りれば「レミは、昔はすごかった。目がきらきらしてて、才気走ってて、エネルギーの塊みたいだった。あの子が近くに来ると、気配ですぐにわかったくらい」。そんなレミが、心を病んで、うちに居ついてしまった。
そして主人公の藍子。ここで描かれている藍子の一年ちょっとをなんと呼ぶかはさておき、この時期はだれもが、ある種の不安と後ろめたさを抱えているのだと思う。それは自分を世界の中にどう位置づければいいのかという不安であり、この世界に自分を位置づけられない自分が生きていることに対する後ろめたさだ。「世界」は「現実」と置き換えてもいい。
藍子は高校受験をひかえ、「人生のこんな最初のほうでつまずいてしまうなんて、これでは大人になっても、父や母みたいに好きな仕事をして週末ごとに友達を呼んでもてなすような暮らしは、絶対にできない」と思う。また、両親には「将来福祉の仕事につきたい」と思われているが、実際は小説家になりたい。そして、それをいえる相手は、レミだけなのだ。
しかしレミは、どこかで、世界の中での自分の位置づけを間違えてしまったらしい。レミと世界の間にはいつも摩擦がある。一方、藍子の両親はその位置づけが正しくできたらしい。そしていま、レミを引き取っている。そんなレミと毎日いっしょに暮らしている藍子は、そういったことを肌で感じていて、レミのことを甘えていると心の中で非難しながらも、レミの気持ちがわかっているし、レミのことをどこかで許している。だから、バースデーパーティでのレミの反応に、「やっぱりレミちゃんも、そう思ってたのか」とつぶやく。
自分のことをわかってくれるけれど、どこか世界に甘えているレミ。世界にちゃんと自分たちを位置づけて立派に生きているけれど、どこか自分をわかってくれていない両親。両親はレミのことも、どこかわかっていないのかもしれない。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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