そんななか、藍子の気持ちは揺れ動く。
揺れ動くなか、いくつかの出来事が起こり、レミが次第にきしみ始める。藍子の気持ちはさらに揺れ動く。
そして、いやおうなく訪れる結末は苦く、切ない。世界と自分に押し挟まれて、その苦しさに必死にたえてきて、それでもまだ不安と後ろめたさにとらわれている人々の思いがあらわになる。世界と折り合いをつけて暮らしているかにみえる両親さえも、どこかにその不安と後ろめたさを秘めていたことがわかる。
この作品の最後のほうで、大人になった藍子はレミに語りかける。
レミちゃん、わたしね、いちばん大事な言葉に何枚もいらない飾りの言葉をかぶせて、包んで、本にして、知らないだれかに投げつけてるの。そのうちたった一人でもいい、だれか一人が最後の大事なひと言にたどりついて、それを何かの助けにしてくれたなら、今まで自分が手を放してしまっただれかが、別のだれかにきっと救われるんだって、ほとんど祈るみたいに、無理やり信じて、書いてるの。レミちゃん、こういうこと、どう思う?
世界と自分の間合いをはかるのはむつかしい。それは世界が現実で、現実が厳しいからではなく、その「世界」というのは、いってみれば、自分自身だからだ。藍子もおそらくそこで悩んで、悩んだまま大人になって、それを言葉にしようとして、いつまでも悩みながら、レミに語りかけているのだと思う。もしかしたら、レミもまた藍子自身なのかもしれない。
しかし藍子はこの作品のなかで、そんな気持ち、そんな不安と後ろめたさ、それを背負って生きていく強さを身につけた。その不確かな確かさが、最後の最後の数行にこめられている。小説で、これほど心を打つエンディングに出会うことはめったにない。
さて、この解説の途中で「ここで描かれている藍子の一年ちょっとをなんと呼ぶかはさておき」と書いたのだが、これにはわけがある。というのは、どう呼べばいいのかわからなかったのだ。青春時代、思春期、といった言葉が浮かんでくるが、どちらもぴったりこない。この作品は今までに書かれた「青春小説」「思春期を描いた小説」とはちょっと印象が違う。もっと肌に近い感じがするのだ。
これまでの若者を主人公にした小説が取りこぼしていたものを、見事にすくいあげた作品だからなのかもしれない。そんな新しさ、そんな新鮮さをなんと呼べばいいのか、それもよくわからない。しかし、これもまたこの作品の大きな魅力なのだと思う。
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