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「昏き器」としての京・近江

「昏き器」としての京・近江

文:芳賀 徹 (比較文学者)

『京都うた紀行 歌人夫婦、最後の旅』 (河野裕子・永田和宏 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

 そしてこの一首を受けて綴られた裕子さんの一節と歌の一首は、またも私たちの胸を抉(えぐ)る。

 十年まえの秋の晴れた日だった。乳癌という思いがけない病名を知らされたあの日の悲しみをわたしは生涯忘れることはあるまい。鴨川のきらめく流れを、あんなにも切なく美しく見たことは、あの時もそれ以後もない。

 人には、生涯に一度しか見えない美しく悲しい景色というものがあるとすれば、あの秋の日の澄明な鴨川のきらめきが、わたしにとってはそうだった。この世は、なぜこんなにも美しくなつかしいのだろう。泣きながらわたしは生きようと思った。

来年もかならず会はん花楝(はなあふち)岸辺にけぶるこのうす紫に
河野裕子

「来年」は、自身の病いを知った女性の独りごとの歎きの歌なのだから、「来る年」でも「来(こ)ん年」でもなく、ごく素直に「来年(らいねん)」と読むのだろう。そして初井さんの歌にも河野さんの歌にも、万葉、古今以来、あるいは芭蕉以来の古典詩歌の映像とひびきが潜められていることに、私たちはやがて気づいてゆく。

 この書が京都の名所案内ではないことは前にもふれた。また歌枕の作者として挙げられるなかには、山川登美子(珠数屋町)、吉井勇(祇園)、斎藤茂吉(滋賀・蓮華寺)、上田三四二(貴船)、窪田空穂(黄檗山萬福寺)、塚本邦雄(近江)、湯川秀樹(京都大学北部キャンパス)等々、近現代の古典的歌人というべき人たちの名も少くはない。だが、一番多いのが現代の、それも私たち素人はその名も知らなかったような若い歌人たちであることは、この本のもう一つの魅力であろう。一例だけを最後に挙げれば、梅内(うめない)美華子という作歌当時二十歳の同志社大学生、いまは四十代であろう若い女性歌人。しかも選ばれた地名は、洛北の北大路駅という地下鉄の駅名である。選者裕子さんもはじめてこの一首を目にしたときには、その新鮮さに驚き、「北大路駅」という駅名を歌枕としてしまったことを面白く、愉快に思ったという。

階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅
梅内美華子

 なるほど、快活活発な女子大生らしい歌だ。彼女はこの地下鉄で南の新田辺の同志社キャンパスに通っていたというから、これは大学からの帰り路だったのだろう。私も京都駅から上賀茂に帰宅のときなど、よくこの駅で下りた。南側の北大路への出口にはエスカレーターもエレベーターもあったが、北側の内河原町の通りの方には、見上げるような高い長い階段しかなかった。私も余力のあるときにはこちらの階段を登り、賀茂川の土手に出て、川のなかに置かれた楽しい飛び石を渡って川上川下のひろがりに向かって大きな深呼吸をし、それから東岸の植物園沿いの紅しだれの並木の下を歩いて、菖蒲園町の家に帰ったものだった。

 梅内さんも「待ち合わせのなき」と言うから、乗降客の出入りの少い、人目の少い、ガランとしたこの北側の階段を二段跳びで上っていったのだろう。若さゆえの自然の反応だったのか。あるいは、この日に限ってデートのない一種の気楽さと淋しさとから、この男の子のような行動に出たのであったろうか。

 いずれにしても、評者河野裕子さんも、こうしてこの地下鉄駅が京の歌枕に昇格したことを面白がり、なんと十八年ぶりにわざわざこの駅に行ってみたという。階段を見上げて、梅内流に「エイ、わたしもやってみるかと思ったが、いけませんお齢(とし)を考えなさいと言い聞かせゆっくりと上がって」いったのだそうだ。病身のはずの裕子さんも、こんな若い人の元気な歌に接すると、素直に気力だけはよみがえってきたのであったろう。

立葵咲きゐるところに立ちどまり北大路駅を南へ下る
河野裕子

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京都うた紀行 歌人夫婦、最後の旅
河野裕子、永田和宏・著

定価:本体660円+税 発売日:2016年01月04日

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