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「昏き器」としての京・近江

「昏き器」としての京・近江

文:芳賀 徹 (比較文学者)

『京都うた紀行 歌人夫婦、最後の旅』 (河野裕子・永田和宏 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

     ***

 もともと「京都うた紀行」は、「京都歌枕」と題して、京都新聞に毎週一回、歌人夫妻の交代執筆で連載されたものだった。夫二十五回、妻二十五回、計五十回、期間は二〇〇八年七月から二〇一〇年七月まで、まる二年の長丁場におよんだ。最後にお二人のかなり長い「対談」もおこなって、すべてを収めて同じく京都新聞出版センターから現行の単行本となって出たのは、終了後三ヶ月の二〇一〇年十月である。内容の掲載順を現行のように洛中、洛東、洛北……滋賀と整えたのは、たぶん単行本にするときのことであったろう。

 この企画は京都新聞編集部の大手柄であった。立派な、意味深い、美しい仕事となった。これによって、京都・近江に新しい歌枕がいくつも生まれたと同時に、その背景となった古典詩歌とその風光が、私たちの眼前にふたたびいきいきとよみがえったからである。そしてまた、永田和宏、河野裕子という現代日本第一流の歌人夫妻の、これが最後の最後の共同作業となり、そのなかにお二人それぞれの京・近江での暮しへの追憶と郷愁と、さらに終ることのない相聞の思いが、まさに「たつぷりと真水」のように盛られたからである。

 新聞連載の開始の年月と終了の年月を見直して、私たちはさらに感慨を深くする。二〇〇八年(平成二十年)七月といえば、六十二歳の河野裕子さんが八年前に手術・治療したはずの乳癌の再発と転移を告げられた月である。それから毎週、京大病院に化学療法を受けに通いつづけた。そして連載終了の二〇一〇年(平成二十二年)七月といえば、その七月三十一日付けで裕子さんは単行本化のための序文「はじめに」を、長女紅さんの筆記によってだそうだが口述し、その十日余り後の八月十二日の夜、ついに息を引きとった。夫和宏氏と二人の子にむかって、息絶え絶えのなかからも次のような別れの絶唱を遺して――

さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ

八月に私は死ぬのか朝夕のわかちもわかぬ蝉の声降る

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

 最後の闘病のこの二年の間に、他のいくつもの仕事をもこなしながら書きつがれた裕子さんの「うた紀行」の文章は、和宏氏のそれにいささかも劣らず、整然として張りがあって、しかも切々たる感傷をおびて、みごとに美しい。連載後の二人の「対談」も、日本人の文化史・精神史における和歌と土地と人とのつながりのもつ深い意味合いをたっぷりと語り合って、これも必読の文献だ。

 歌枕の現場再確認のために、二人は夫運転の車で毎回その地を訪ねた。妻が、

「あなたと一緒に行ったというのが、非常に大きかったですよね。……あと何回この人と来ることができるだろうか、だけど、短い残り時間の中で、いま同じ時間を共有している、そういう思いが非常に強かったですよね。」

 と語れば、夫はすぐに正直にこう答える。

「それは僕も強く感じたことでした。特に渡岸寺に行ったとき。ちょっと暗い空気の中で、ああこの人と一緒にここにくることはもう二度とないなあと思いながら運転していた。」

 そして裕子夫人の次の言葉も、この本のもつ意味を要約するものとして受けとることができるだろう。

「……どこ見回してみても、石投げればそこになんかある、京都は。そういうおもしろい土地に住んでいて、その土地が持っているいろんな人びとの歴史とか時間とか、そういうものがなんていうかな。自分の人生、時間を超えながら、はるばると近いという感じやね。」

「はるばると近い」というのは、現代人にとっての古典の地の大切さ、なつかしさを一言で把えてみごとではないか。

 この書をいま文春文庫版にする、というのも、実にいいアイデアである。これによって、現代の日本人が、老年も壮年も青少年たちも、自分のなかに実は生きている歴史と古典のゆたかさ、尊さを、もう一度知り、自覚してくれることこそ、二人の歌人の願うところでもあったろう。

京都うた紀行 歌人夫婦、最後の旅
河野裕子、永田和宏・著

定価:本体660円+税 発売日:2016年01月04日

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