次の世代のあなた方へ
──最後まで読んで不思議に感じたのは、ベッキーさんの諦念です。「いえ、別宮には何も出来ないのです」「何事も――お出来になるのは、お嬢様なのです」という最後のセリフがとても印象的でした。彼女の、この無力感の正体は何なのだろうと。
北村 それは「時代」でしょう。時代を、回避できない。当初から彼女をスーパーレディとして設定してあるのは、その、最後のセリフを言わせたいからなんだよね。スーパーレディが、しかし「何も出来ないのです」と告げる。それは、様々なことを為していくのは、次の世代のあなた方であり、読者である、ということをやはり言いたいから。
──ベッキーさんは、「明日の日を生きるお嬢様方」に未来を託しましたが、それは同時に現代に生きるわれわれに託されたものである、と。そういえば、『街の灯』の巻末インタビューでは、登場人物たちが戦後にどういう人生を歩むかという話も構想があるようにおっしゃられていましたが……。
北村 いや、構想はないです。考えているけど書かない。書かれざる物語としてあるということです。さっきも言いましたけれど、日常を紡(つむ)いでいって、最後の場面で非日常が垣間見える。そのあと、果たして日常はどのようになってゆくんだろうということを知っている読者の皆さんは、またそれを頭の中で自らの物語として考えていただければ……。この続きを作者が書くと、逆に、小説が薄くなる気がします。わたしは別の話を書けばいいでしょう(笑)。作者としては、ひとつのシリーズが終わるのは、ほっとします。ここへ行きたいと思っていたところにようやく辿り着けたのですから。
──皮切りの作である「虚栄の市」から、お仕舞いの「鷺と雪」まで、中篇九本、丸七年でのシリーズ完結でした。
北村 遥(はる)けくも来(きた)るものかな。筆が遅いからね(笑)。
──三冊を通して、語り手の少女の「わたし」、花村英子の成長小説(ビルドゥングスロマン)という性格もありますね。
北村 今でいうと、中学生ぐらいの女の子が高校を卒業する時分まで。昔ですから、年齢的には同じであっても、もっと大人でしょう。籠の中から出て、社会に立ち向かう年頃までのお話ですね。要するに、社会で起こるあれこれが“わが事となる”ということです。
──ところで、このインタビューをしている今日は、二月の二十七日。七十三年前の今時分、まさに帝都のこの辺りは戒厳令下の真っ只中でしたね。今、外は雨ですが、東京は朝から雪が降っていたと聞きました。
北村 わたしが埼玉の家を出るときは、まだ雪が舞っていました。これも、不思議な因縁を感じます。
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