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「紅雲町珈琲屋こよみ」だけではない<br />吉永南央の新たな魅力がここにある!

「紅雲町珈琲屋こよみ」だけではない
吉永南央の新たな魅力がここにある!

文:大矢 博子 (書評家)

『キッズタクシー』 (吉永南央 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 もうおわかりだろう。みっつめの筋は親子小説の側面である。

 さばさばしているのにしっかりつながっている千春と修の母子。その一方で、行方不明になってしまった壮太とその母・公子の関係も並行して語られる。こちらも母ひとり子ひとりの家庭だが、公子は再婚が決まっており、再婚相手の子も身ごもっている。この二組の親子の対比のさせ方が見事だ。

 千春が未婚の母として修を生んだことや、その後殺人事件の犯人となったことは、修の意志とは関係なく修の運命を定めてしまった。公子が夫と離婚したことも、その後再婚を決めたことにも、壮太の意志は存在しない。子どもは、どうしても大人の生き方に振り回される。親が運転する車に、子どもはただ乗っているしかない――つまり、すべての親子関係はキッズタクシーなのだ。

 そんな中で、行き先も告げずに走っている親に不満を覚え、勝手に飛び降りてしまったのが壮太である。一方、不安定な運転でも親を信頼して後部座席に座り、ときにはナビにもなるのが修だ。そして、いつか子どもがタクシーから降りる日がきたとき、「忘れ物はありませんか?」「ご乗車ありがとうございました」とにこやかに告げられるだろう親が、千春なのである。

 他にも、公子の婚約者とその母であったり、千春が殺してしまった男とその息子の話であったり、紀伊間とその親との関係であったりと、複数の親子関係が登場し、絡み合う。それぞれのありようを、ぜひ読み比べていただきたい。

 こうしてみると、実に盛りだくさんだ。そしてこれも「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズ同様、地方都市の地縁の物語であることにお気づきかと思う。子どもを乗せ、彼らの生活の場をつなぐキッズタクシーという仕事。乗る子どもにも、乗せるドライバーにも、それぞれの生活があり、事情があり、ドラマがある。それがふとしたときに交差する。実に象徴的だ。

 しかし地縁の物語というだけなら「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズのようなお得意の連作短編でよかったはずだ。壮太失踪事件、過去の事件を知る誰かからの嫌がらせ事件、修の婚約騒ぎ、ドライバーの同僚の事件などなど、一話完結の連作で展開しようと思えばできる構造である。回転寿司で言えば、どれも立派な寿司ネタなのだから。

 そこを長編にしたのは、寿司ではなくコンベアの流れこそを見て欲しい作品だったからだ。いや、この場合はタクシーなのだから、道路を、そのルートを見て欲しい作品と言うべきだろう。千春と修だけではない。公子が、壮太が、紀伊間が、修の恋人が、運転手の同僚が、壮太の友達が、千春が殺した男の息子が、どう関係し、何を経て、どう変わるか。そんな人々の交差から、彼らそれぞれがどの道を選ぶか。それこそが本書の主眼なのである。

 物語の最後にこんな言葉がある。

「タクシーで走り回る街は、一見、変わらない。/でも、昨日と今日とは確実に違う。だから、同じ道でも違う道だ」

 人も一緒だ。昨日の修と今日の修は、昨日の壮太と今日の壮太は、確実に違う。同じ人でも、違う人だ。そうして人は変わっていく。変わりながら、変わらないものを育んでいく。これはそういう物語なのだ。後部座席に子どもを乗せ、親がハンドルを握る何台もの車が、それぞれどこへ向かうのかを、追う物語なのだ。だからこそ、個々の事件を切り取って見せるのでは意味がない。長編でなければならなかったのである。

 これまで著者の連作短編しか読んだことがない、という読者にはぜひ本書をお勧めしたい。吉永南央の、変わらない魅力が新たな力で押し出された作品である。

キッズタクシー
吉永南央・著

定価:本体610円+税 発売日:2015年03月10日

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