書評

大名も町人も、そこから生まれる喜怒哀楽を全て包み込む――「ご隠居さん」が愛される理由

文: 縄田 一男 (評論家)

『出来心 ご隠居さん(四)』 (野口卓 著)

 さて、ここからは本書に収録されている六篇に触れるので、もし解説の方を先に読んでいる方がいらしたら、ぜひとも本文の方に取りかかっていただきたい。

 第一話「知恵袋」は、ご隠居さんが、御用聞きの七郎親分の話を聞いただけで、見事、商家で起こった強盗事件を解決するという、安楽椅子探偵ぶりを披露する捕物帳仕立ての作品。

 私はこれを読んで二つの連作を思い出した。一つは捕物帳の元祖である岡本綺堂の『半七捕物帳』で、いま一つは野村胡堂の『銭形平次捕物控』である。

 本書の中に七郎のことを「本人は御用聞きが本職で、片手間に床屋をやっているつもりなのだ」と説明する箇所があるが、『半七』の第二話「石燈籠」に、御用聞きは同心から給金をもらっており、それだけでは採算がとれないから、“まとも”な奴は他に副業を持っていた旨、記してあるのである。つまり、御用聞きだけでやっていこうとすると、罪人を捉える方が、ゆすり、たかりに手を出すようになってしまうというわけだ。

 また、『銭形平次』の初期作品には、実は投げ銭を使うから“銭形”と呼ばれている他に、もう一つ、“しくじりの平次”という仇名があったと紹介されている。野村胡堂は、“私は銭形の平次に投げ銭を飛ばさして、法の無可有郷(ユートピア)をつくっているのだ”と語っており、彼の目指したのは、「罪を憎んで人を憎まず」の精神――つまりは無駄に罪人をつくらない、ということで、ついつい、犯人を見逃してやるので“しくじりの平次”ということになる。

 さすが野口卓は、二人の先達の精神を見事に継承しており、梟助が七郎の「知恵袋」でいる限り、法の冷たさに泣く者は出ないであろう。

 そしてもう一つ、野村胡堂が時代小説を書く際に後輩に勧めたのは江戸川柳を読め、ということだった。江戸川柳には、江戸っ子の心情がこめられている――岩手県出身の胡堂は、恐らくそうやって自分も江戸っ子を理解していったのだろう。

 野口卓の落語に対する野村胡堂の川柳。面白いではないか。

 第二話「ジッカイの人」は、ジッカイ、すなわち、船宿「さざ波」の二階に厄介になっている、軽薄が着物を着て歩いているような若旦那の粂太郎が、五年半の後、まっとうな人生を歩む男になっていた、というただそれだけの話である。

 ただそれだけの話を脇筋=放生の話と絡めて、ある種の寓話にまで高めているのだから、やはり、野口卓、只者ではない。

 そして次なる第三話「約束」は、恐らくこの連作の中でも最高傑作の一つとして語り伝えられることになるであろう。ここには落語はない――いや、この物語の前で完全に立ち往生してしまった私が見落してしまっただけなのかもしれない。唯一つ、間違いなくいえるのは、この作品のテーマは人間の生と死の峻厳さである、ということだ。

 物語は雨の降る日、梟助の旧友、平兵衛がやってきて、生前の約束通り、死病でいくばくもない妻を殺してきたと語り、最後に二人で番所へ行くところで幕になる。

 私は、この作品を読んで完全にうちのめされてしまった。いや、あの日、自分を取り巻く景色という景色がまったく違ってしまったことを、思い出してしまった。

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出来心 ご隠居さん(四)
野口卓・著

定価:本体630円+税 発売日:2016年05月10日

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