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大名も町人も、そこから生まれる喜怒哀楽を全て包み込む――「ご隠居さん」が愛される理由

大名も町人も、そこから生まれる喜怒哀楽を全て包み込む――「ご隠居さん」が愛される理由

文:縄田 一男 (評論家)

『出来心 ご隠居さん(四)』 (野口卓 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 ここで少々、私事を書くことをお許し願いたい。

 私と妻は今年で結婚して二十五年になる。双方の両親は死んでしまい、子供もいないので二人きりの暮らしである。だからといって淋しい思いをしているというわけでもなく、日々、事無きを得ている。

 はじめは妻の父であった。結婚して四年目、食道癌が見つかり、手術には成功したものの、入院中、朝、トイレに立ち力んだところ脳梗塞となり、意識が断たれた。

 朝五時、病院からの電話で私と妻は起こされた。主治医が「残念です……」というと、私の妻は「医師(せんせい)より、私の方がもっと残念です!」といい放った。「病院(うち)は完全看護だから大丈夫です」――そういったではないか。だが、すべては後の祭りだった。生命維持装置が取りつけられたが、回復の見込みはなく、要は、いつ、それを取りはずすかであった。次第に血流が悪くなり、顔がむくみ、頭に水がたまる――顔つきが変わってしまう前に――倒れて一週間で義父を逝かせることになった。

 結婚して八年。今度は私の父であった。若い頃、軍医くずれの荒っぽい医者に手術してもらった大腸が癒着し、さらに胃癌が見つかった。二年間の闘病生活であった。私と父のあいだには、人にいえないような確執があり、私は父のために一粒の涙も流さなかった。

 その翌年、今度は妻の母であった。若い頃、胆石の手術でした輸血のため、C型肝炎となり、そこから肝硬変→肝癌と悪化。状態が急変するという徴候はなかったので、義母の命日に私はたまたま歯医者に行っていた。が、その間、恐れていたことが起ってしまったのだ。妻に一人で最期を看取らせてしまった――このことは幾度後悔しようと、し切れるものではない。

 そして結婚して十七年目。最後は、私の母だった。暑い夏が過ぎ、ようやく涼しくなった頃、母は階段から転がり落ちた。そして、一階で横になったまま数日を過ごした。そんな中、おかしかったのは、いつもは口にしないコカ・コーラを妻がストローで与えると、母は目を丸くして「こんなおいしいもの、誰がつくったの?」というではないか。

 妻が「アメリカ人?」といって、皆で笑った。だが、次の日、母は眼をさまさなかった。心臓が弱っていたのだ。救急車を呼び病院へと運んだが、すべては元に戻らなかった。

 そしてこの時、私は自分を取り巻く景色が一変してしまったことに気がついた。

 あれから哀しみは固着し、心の底に沈んだかに見えたが、「約束」を読んだとたん、みるみるそれが甦ってきたではないか。

 野口卓、恐るべし――。

 ここで再び収録作に目を移せば、「夫唱婦随」は、犬猫は人語を解せるかという、「婦唱夫随」(『心の鏡』所収)と対になった作品。

 続く「年下の親父」は、読んでいると、それこそ、こんがらがりそうな“二組の男女”の結婚話。「ああ、世の中おかしなことばかり」という梟助の嘆息が私たちのところまで届きそうである。

 そして最後の表題作「出来心」は、それこそ、野口卓の真骨頂である。

 梟助が旗本のご隠居“愚翁”に呼ばれると、翁は近所にあった実際の泥坊話をはじめる。そこから、出るわ、出るわ、泥坊の登場する落語の総ざらい。自分も知っている落語の話が、いや、知らない落語の話もだが、出てくると、ついついお気に入りの噺家でそれを聞きたい、とCDショップに出かけることになる。

 野口卓の作品は、このように読み終わった後でもまた楽しめる。何度でも面白い野口卓の「ご隠居さん」シリーズ。いまから次巻が楽しみではないか。

出来心 ご隠居さん(四)
野口卓・著

定価:本体630円+税 発売日:2016年05月10日

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