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長年伴走した編集者が語る、北原作品の魅力と愛すべきお人柄

長年伴走した編集者が語る、北原作品の魅力と愛すべきお人柄

文:鈴木 文彦 (元編集者)

『初しぐれ』 (北原亞以子 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 似たようなことが「ぎやまん物語」でもある。

 今回初めての収録作品となった「犬目の兵助」は、オール讀物平成十九年九月号に掲載された「ぎやまん」の十五編目にあたる。

 ご存じのとおりこのシリーズは南蛮渡来のぎやまんの手鏡である「私」を主人公にして、秀吉の時代から江戸幕末までの有名無名の人物の手から手へと渡された運命を連作形式で描いている。

「阿蘭陀宿長崎屋」では、ぎやまんは江戸のオランダ宿長崎屋源左衛門の唐風の茶箪笥の上にあり、明ければ文政十三年江戸の人達はお蔭参りの騒ぎに巻き込まれてゆく、で終わっている。そして「黒船」では、文政十三年から風水害で凶作がつづき、一揆の数は天明の大飢饉を上廻ったとする社会情勢を背景に、ぎやまんは天保二年に長崎屋源左衛門から小通詞今村に渡され長崎に行き、今村からオランダ通詞森山栄之助の手に渡ったことになっている。

「犬目の兵助」はその二作品の間の脇道に入った番外編ともいえる。正面から飢饉を描きすぎたと判断したのだろうか、右の展開に修正されたのである。

 だが北原さんらしく甲州一揆の資料を駆使して江戸後期の経済破綻に筆をさき、歴史小説の趣もある。甲州の郡内織物の取引を本業とし、かたわら水田屋という旅籠(はたご)をいとなみ、百姓代の役目にもついている兵助が長崎屋源左衛門からぎやまんをもらい受けるが、その後の凄まじい凶作からとうとう一揆打ち毀(こわ)しに参加していく様を描いている。奥州八戸(おうしゅうはちのへ)藩の飢饉の惨状を描いた三浦哲郎氏の「おろおろ草紙」を彷彿させ、迫力ある一編になっている。

 もし本作にあるように、犬目の兵助の懐の中で秩父へ行ったとしたら、どういう展開が用意されていただろう。是非伺ってみたかった。

 北原さんは後年、長崎に興味を抱き、丹念に資料を調べていた。その収穫ともいえる「捨足軽」(オール讀物平成二十一年九月号)も「海の音」(同平成二十二年五月号)も読み応えがある歴史好編になっている。

「捨足軽」は、佐賀鍋島藩に組織された役目で、異国船が長崎港に侵入し狼藉をはたらいた場合、火薬を入れた筒を身体に巻きつけて船に乗り込んで自爆する男達をいう。

 十八歳になる捨足軽の源太の目で、天保十五年に長崎で起きた小事件を書いている。許嫁(いいなずけ)のおちょうの愛らしさが格別である。節度ある緊張感が全編をおおい、北原作品の傑作として後世に遺ると思われる。

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初しぐれ
北原亞以子・著

定価:本体700円+税 発売日:2016年06月10日

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