木綿を染めるには、さまざまな媒染剤や防染剤を駆使しなければならない。先進地のインドや中国のようにうまく染める技術が、木綿生産の歴史が浅い元禄の日本にはまだなかったのだ。そこで輸入品の更紗が珍重されたのである。
いわば木綿染めは当時の先端技術で、だから初音が関心を示したのだし、おりんの兄、紀兵衛が染め物職人を志すのも、大店の跡取りを放り出して修業するだけの価値があったからだろう。先端技術だけにその習得と開発には夢があるのだ。
おりんが世話になっている越後屋の「現銀掛け値なし」も、この時代に始まった革新的な商法だった。
訪問販売のオーダーメイドが常識の呉服商売の中で、店舗販売に徹し、掛け売りをやめ現金即売に限定して経費をおさえ、その分安く売る。おりんが経験したように、一反単位でしか売らなかった反物を「切り売り」するのも、即座に仕立てて渡す「仕立て売り」も越後屋の新手である。
このように作者は、時代の動きについて説明が必要になるところをうまく逆手にとって、面白いエピソードに仕立てているのである。
また本作「紅い風車」は、一、二作目とはいくらか趣が違ってミステリー仕立てになっているが、ここに出てくるキリシタンと毒も当時の社会問題になっており、幕府から禁制が出されている。それに第二作「黄蝶の橋」の主題となった磔茂左衛門(はりつけもざえもん)のエピソードなど、作者は世相への目配りも忘れていない。
本作の最後には幕閣内の政争が匂ってくる。そこにいる柳沢保明(やすあきら)とは、元禄時代、将軍綱吉の側用人として権勢をふるった柳沢吉保である。そしておりんの味方をする新井君美(きんみ)は、つぎの将軍家宣の世で正徳の治を行うことになる新井白石の若いころの姿だ。
こうして眺めていると、服飾文化、商業流通、世相、政治など、元禄時代をさまざまな面から描こうとしているのがわかる。ただいくつかの史実を取りあげるだけではなく、そこに生きた人の目で、上から下まで丸ごと時代を描いている、ともいえる。
本来、庶民の暮らしにおけるささやかな哀歓を描くのがお約束の市井小説の体裁をとっていながら、その実はスケールの大きな、ひとつの時代を丸ごと描く全体小説とでもいいたくなるような構成。斬新といわずしてなんといえばいいのか。
これが作者のたくらみだろう。実に野心的な試みである。