もちろん、本シリーズのメイン・ストーリーはおりんの更紗屋再興物語であり、ひいては江戸に輿入れしてくる清閑寺家の熙姫に、おりんが作った衣裳を着てもらうという友情の絆が成立するかどうか、という点にかかっている。
読者は作者のたくらみに乗って興味深いエピソードをたどりつつ、おりんの行動を見守ってゆくのだが、当然ながら、更紗屋再興はなかなか進展しない。
更紗屋が潰れる前に勘当されていたおりんの兄、紀兵衛が現れるが、それで更紗屋再興に弾みがつくかといえば、そうはいかない。むしろおりんの肩に重荷がのしかかる結果となってしまう。
だが、そのあいだにおりんは人として着実に成長している。ミステリー仕立ての本作でも、最後に謎を解くのはおりんである。
つまり、世を渡るために堪え忍ぶばかりでなく、よりよく生きるための聡明さを、おりんは身につけつつあるのだ。
そしておりんの思い人とのつながり――これもストーリーの重要な部分だが――は、本作で一段の進展を見たようである。ここは胸が熱くなった読者も多いのではあるまいか。
とはいえ、おりんには更紗屋再興まで恋を禁じるという、きびしい枷(かせ)がかけられている。おりんの思いが成就するまでには、まだひと波乱もふた波乱もあるだろう。
となればいまはまだ思いをかけられていない者にも、おりんと結ばれるチャンスはありそうである。どうなるのか、こちらの行方も目が離せない。
さて、一作目の「墨染の桜」から二作目の「黄蝶の橋」、そして本作「紅い風車」と読みつがれてきた読者はお気づきだろうが、どの作においても作者は一貫して冒頭におりんの子供時代の思い出話をおき、そこに表題に出てくる情景を描いている。そしてその情景は、作中に繰り返しあらわれる。表題がテーマを示しているのだ。
「黄蝶の橋」の解説で葉室麟氏は、蝶を京から江戸へ向かった女人たちの暗喩、と読解されている。
「墨染の桜」は、親を亡くしたおりんと思い人を亡くした熙姫に共通する、暗い心象風景の象徴だろう。
本作では紅い風車だが、これは何を意味しているのだろうか。
ここで描かれる紅い風車は、子供のころの父母とのつながりを思い起こさせるものだが、同時に不安をかき立てる源でもある。また風車は、持ち主の意志にかかわらず回ったり止まったりする。
とすれば、紅い風車はその人が持って生まれた運命をあらわすのではなかろうか。もしくは、この世に生きている限り避けられない不条理の象徴だろうか。
もちろんこうしたものに正解はなく、読者それぞれの解釈にまかされているのだが、一度は思いを馳せてほしいものである。本書を閉じたときに読者の目に紅い風車が焼き付いていれば、作者冥利に尽きるだろう。
幕閣内の政争を示唆して終わったことで、本シリーズはさらに大きな変転の中へほうり込まれた。時代のうねりの中でおりんは、そして熙姫はどう生きてゆくのか。
次作以降がまことに楽しみである。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。