本書に戻ろう。
脱北者を自由な国に送り届けることに成功した野口さんは、二回目の救出作業の途中、公安に身柄を拘束され、皮肉にも「選択の自由」を極度に制限される「看守所」(日本では拘置所に相当)生活を余儀なくされる。
脱北者の救出を行い、中国内で拘束された日本人は過去にもいたが、いずれも数週間で釈放され、帰国していた。
野口さんの場合、拘束は二百四十三日にも及んだ。本書にもあるとおり、地元の弁護士を付け、当局に罰金名目で金を払っていれば釈放されていたかもしれない。
気の毒な体験だったが、看守所という狭くて単調な場所に入ったことで、人間観察力が冴えたようだ。本書の後半部分は、中国社会をあぶり出す出色のルポに仕上がっている。
看守所の監房は、鉄格子で囲まれた十畳ほどの広さで、プライバシーのかけらもない。
収容されていた中国人はさまざまだった。中国と敵対しているベトナムに情報を流してスパイ罪に問われたり、百二十六匹の猿を違法に捕獲し、食用として売り飛ばそうとして捕まった男もいた。
中には「今度、北韓人(北朝鮮人のこと)を連れてくる時にはオレに連絡しろ、必ず助けてやる」と商談を始める人さえいた。中国人のたくましさには、あきれるというより、底知れないパワーを感じる。
そのうち野口さんは、看守所の中で特別待遇を受けている人たちがいることに気がつく。「シゲ」と呼ばれる男性は、地元の共産党幹部で大型収賄の容疑で逮捕されたが、温水シャワーを浴びる特権があり、食事も外でできる。高級な果物や食事を持ち込むことも認められていた。「共産党での地位と金さえあれば、なんでもできる」という、中国の現実は、こんな場所にまで反映していた。
二〇〇四年八月九日になって、野口さんはようやく釈放され、日本に戻った。
それから約六年後の二〇一〇年、本書が出版された。脱北支援の実際が克明に記されており、驚きの連続だった。
アルバイトで貯めた金で中国に渡り、危険を顧みずに脱北者の救出に当たった野口さんに、私は強い関心を抱いた。本人に会いに行き、本を紹介する新聞記事を私の手で書かせてもらった。
私と野口さんは、同じ埼玉県に住み、自宅も遠くない。そのため今も時々会って、話を伺っている。今は編集者、ライターとなって仕事をしているが、旅行作家になる夢を持っているという。
この本は、確かに野口さんにしか書けなかった「旅行記」といえるだろう。脱北者の辛くて長い旅は早く終わって欲しいが、野口さんには、いつか新しい旅に出てもらいたいと願っている。
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