- 2015.05.07
- 書評
奥泉光のスタイリッシュなユーモアミステリ
文:有栖川 有栖 (ミステリ作家)
『黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2』 (奥泉光 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
このシリーズの読みどころは、冴えないクワコーと、奥泉さんの言葉を引けば「決して裕福ではないし、成績優秀でもないし、社会的には恵まれていない人たちかもしれない」女子大生たちを通して描かれる現代のリアルな諸相だろう。魔術的なまでに変幻自在でしなやかでアイロニー満点の文章(ここ、知性)が、それを斜め上から面白おかしく語る。
さらにミステリの楽しさまでついてくる贅沢さなのだが……ミステリである必然性はあるのか? 毎回、謎解きをしなくてもユーモラスなキャンパス小説として立派に成立しそうだ。
この点について奥泉さんは、「何の枠組みもないところからキャンパス小説を自由に書けといわれたら、これ、難しい」ので、「ミステリという枠組みをきちんと踏襲」して、それを「背骨」にした、と語った。ミステリというのは、事件―捜査・推理―解決という形式が決まっていて、巧みな伏線を読者から要求されるし、超自然現象は出せないなど、制約の多い窮屈なスタイルで、構築的だ。自由の発現であるユーモアを描くために、あえて不自由さを取り込むことで「むしろ自由になれる」と奥泉さんは読み切ったのである。
そしてできあがったのが、愉快なキャラクターが、心地よいテンポとリズムで躍動し、ノリがよくて、構築的なユーモアミステリだ。構築性が高くなると、キャラクターたちのノリもよくなる。ミステリ作家が「今度の作品には、ユーモアをたっぷり入れよう」と構想するのとは反対方向からのアプローチでこのシリーズは書かれ、他に類を見ないユニークな小説になったのだ。
付言しておくと、「期末テストの怪」の〈車中の捜査会議〉で、文芸部の面々が「妄想捜査」というテレビ番組を話題にし、「あまりにバカだと、それもウケるー」と盛り上がっているが、これは実在した番組である。二〇一二年一月から三月まで放映され、原作は奥泉光・著『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』……って、要するに完全な自己言及なのだ(クワコー役・佐藤隆太、神野仁美役・桜庭ななみ)。つくづくアイロニックである。ドラマは原作の語りのおかしさを表現できないので、キャラクター、テンポ・リズム、ノリで勝負していた。
対談の終盤で奥泉さんは、文芸部の女の子たちの「一種の自由な空気みたいなものを掬(すく)い取るのに、ユーモアというのは非常に有効な方法」であり、私のユーモア観を敷衍(ふえん)・反転させて「ユーモアは自由へと通じる通路である」との名言で締め括られた。クワコーシリーズの魅力は、まさにそこにある。
スタイリッシュということについて。
シリーズ第一作の副題と第二作のタイトルにスタイリッシュという言葉が含まれている。およそ桑潟幸一ほど非スタイリッシュな奴はいないので、アイロニーと言うしかない。
だが、そもそもスタイリッシュとはどういうことなのか? 恰好いいというだけの意味で遣われがちだが、少し掘り下げてみよう。
『虚構まみれ』所収のエッセイ「スタイルについて」にこんなことが書いてある。思うまま自由に小説を書こうとして、奥泉さんは必要なことが二つあることに気づく。一つは「表現手段の技術的修得」。ピアニストになりたければピアノがちゃんと弾けなくてはならないのは当然の理。二つ目は「ひとつのスタイルに通暁し、それを支配すること」である。ベートーヴェンのソナタを演奏するか、ジャズを演奏するかで修得すべきスタイルは違ってくるわけで、小説の創作においても「目指されるスタイルに応じて言葉の技術の質は決定されるはず」だと意識するに至った。
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