「はい、これっ」
高橋氏が出したのは、はたして『幻日』であった。私は、(これなら持っています)と言おうとして、とっさに口をつぐんだ。持っているのに読んでいないのは、単に持っていないよりも失礼なことと思えたのだ。
「あ、ありがとうございます」
内心ではかなりうろたえつつ、私は愛想笑いを浮かべて『幻日』を受けとった。
高橋氏はにこやかに言った。
「読んだらレポート提出ね!」
その晩、帰宅した私は頂戴した『幻日』の表紙を複雑な思いで見つめた。こっそりと買ったもう一冊の『幻日』は、可哀そうに書店の袋のなかに入ったままだ。しかしご本人から手渡されたからには、今度こそ読まねばならない。もしも面白いと思えなかったら、レポートには何と記せばよいのだろう。
私は息を詰めるようにして本を開き、第一話「鬼女の夢」を読み始めた。そうしてほどなく、詰めていた息をほうっと吐いた。
(面白いじゃないか、しかも抜群に!)
それは『幻日』がほぼ事実だから、ノンフィクションの好きな私にも面白く読めた、というのとは少し違っていた。ストーリーに没入し、ページをめくるのももどかしく文字を追う。長いこと忘れていた小説を読む楽しみが、じわじわと蘇ってくるのを感じた。
第三話の「あいつ」を読み終えたときは、私は主人公と一緒に涙をこぼしていた。そのほろ苦い後悔や、二度とは会えぬ人々への懐かしくも切ない気持ちが、我がことのように胸に迫った。若き日の高橋氏の純粋な魂が、新鮮なまま封入されていて、ともするとその手触りさえも伝わってくるような、一種独特の読後感は、事実をありのままに、素直に記したゆえの効果であろうと思われた。
第四話の「夢みるビートルズ」になると、主人公と従兄の会話が、脳内で声として立ち上がってくるようになった。それは私が岩手在住で、従兄のモデルとなった人物とも面識があり、その声や口調をよく知っているせいである。と同時に、(ここまでゆくと、もはや文章表現による形態模写だ)と舌を巻くほど、セリフ回しがリアルであることを物語っていた。
ここに至って私は、『幻日』が九十九.九パーセント事実でありながら、面白い小説に仕上がっている理由を理解していた。
高橋氏は、恐るべき観察眼と記憶力をもって、事実をその脳内にインプットしているのである。ひょっとすると氏の記憶は、他の人間とは異なる様式によって成立しているのかも知れず、氏が自らの記憶に並々ならぬ関心を寄せる理由も、案外そんなところにあるような気がした。
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