三月十一日が過ぎて、余震の続くころに原発事故の推移を見守ることになり、スーパーマーケットではペットボトルの水が売り切れていて、豊洲あたりは液状化が激しいとか、誰それの家では本棚がすべて倒れて困っているとか、高層ビルのエレベーターが動かないらしいとか、そんな話が人づてに入ってきた。とはいえ、東北の沿岸部の被害に比べたらなんでもないような東京の震災被害は、どこか深刻さを欠いていて、崩壊した発電所で作られていた電気は地元ではなく東京で消費されていたという事実のせいで、後ろめたい感覚がつきまとった。
乳がん検診を訴えるものと、アニメーションの動物が出てきて、「ポポポポーン」と手だか足だかを合わせて踊る公共CMばかりが、不必要に何度も何度もテレビで流れた。
地方や海外に住んでいる友人から見舞いの言葉を聞くと、だいじょうぶ、こちらはだいじょうぶと繰り返してはいたけれど、まだ揺れが続いているような妙な感覚が去らなくて、しばらくは、仕事のために物を書くのも難儀したのを思い出す。
そんな中で、上野動物園のパンダが公開されたというのは、ずいぶん久しぶりに聞いた明るいニュースだった。シンシンとリーリーという二頭のパンダは、その年の二月に四川省からやってきたのだそうだが、気の毒なことに二〇〇八年の四川大地震を経験しているという話だった。長旅を終えて上野で暮らし始めてまもなく次の震災に遭遇したわけで、人生観(というのだろうか)が変わるほどの大震災を二度も体験したジャイアントパンダは、やはりしばらく不安定になっていたのだろう。
ともかく公開の運びになったのは、三月の下旬のことで、わたしが出かけて行ったのは、四月の初めだったように記憶している。春らしい晴天の暖かい日だった。上野公園には、桜がみごとな枝を広げていた。
親子連れでにぎわう動物園は、パンダ目当ての客が列を作っていたが、それほど順番待ちをした記憶がないのは、平日の昼間だったからだろうか。
シンシンだかリーリーだかは、そのとき、そのような状況で、国民的な人気を誇る動物園のスターがなすべきことを完璧に理解して、広範囲の客からよく見える位置にどっしりと腰を下ろし、悠然と竹を食んでいた。あの、歩き回るよりも座るのに適しているように見える体形の、ぽってりと丸い背中、無防備に投げ出した後ろ脚、頭がすっぽり嵌ったようななだらかな肩、次から次へと無心に竹をまさぐっては口に運ぶ前脚、そのすべてが、さあ、もう何も考えず、何も心配せずに、のんびりと動物園の休日を楽しんでお行き、と言ってくれているかのようだった。
どれくらいの時間、ぼーっとパンダ舎の前にいたんだろうか。
たしか、それでもやはり人の波というのがあって、しばらくパンダの正面を独占したら、後ろから来る別の客に場所を譲るような暗黙の了解があったはずだ。だから、そんなに長い間、あの白黒の大きな動物を眺めていたはずはない。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。