それでも、春のうららかな日、久しぶりに仕事以外の用事でわざわざ外出して、のんびりと竹を食べている熊猫の姿を拝見したときの、ふわふわと気持ちが浮き立つ感覚は格別で、ああ、こんなにいいお天気の日は、誰かに会いに行きたいものだなと、自然に喜和子さんの笑顔が頭に浮かんだのだった。
そういえばわたしたちが初めて出会ったのもこの上野公園のベンチだったなあなどと思い出し、二年ぶりくらいで、例の「ふらっと訪ねる」をやってみたくなった。震災をどう切り抜けたのかも聞いてみたい気がした。第一、ほんとうにその日はなんの約束もなくて、昔と同じように、時間がたっぷりあったのだった。
それでわたしは動物園を出て公園を抜け、子ども図書館を右手に見ながらさらに進んで藝大の前を通り、細い道を抜けて上野桜木に出て、喜和子さんの長屋へ向かった。
何回か、通りをうろうろして、入るべき道を間違えたのかと思い、わざわざ三崎坂のほうへ出てから、知っている建物を確認するようにして、喜和子さんの長屋のある狭い路地を探す。妙なマンションが、何年か前に住民の反対を押し切って建てられたのは知っているけれど、それ以外の場所もなぜだか記憶よりも白っぽく変色したような感じで、落ち着かなかった。よく似ているのに、どこかが間違った、間違い探しクイズの立体版を歩いているような、ぞわぞわした感覚が続いた。カフカの小説の中のよう、とでも言ったらいいのだろうか。歩いても、歩いても、行きつかない。
しばらく往生して、ようやく気づいた。
喜和子さんの長屋がない。
あの狭い路地に面した家々が軒並み無くなり、更地になっていた。
わたしはしばらくそこに呆然と立っていたが、表の通りを犬が鼻先をクンクンさせながら散歩するのを見て、そこまで引き返し、犬の首に結わえ付けた紐を引いている自由業めいた半分白髪の中年男性に話しかけた。
「ここ、前、家、ありましたよね」
中年男性は、犬の紐をちょっと引っ張って立ち止まり、しばらく首を傾げたあとで、
「じゃないかなあ。わかんないけど」
と、言った。
「ありましたよね」
「ねえ、あったよねえ。わかんないけど」
「震災で、倒れたかなにか、したんですか?」
「は、ないと思う」
「ないってことは?」
「震災のころも、ここは、こうだったね」
「じゃあ、震災前に更地になったんですか」
「じゃないかなあ。わかんないけど」
ここらあたりに住んでいるなら、もう少しはっきり記憶していたっていいじゃないかと、八つ当たりめいた気持ちがこみ上げたが、中年男性にそれを理解してもらうのは無理な話で、話が終わったと思ったのか彼は、軽く会釈して犬といっしょにいなくなった。
何度もうろうろして気づかなかったのは、更地になった土地が、思ったよりずっと狭かったせいかもしれない。
その小さな土地に、天人唐草の青い花が咲いていた。
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