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十年の時を越え、ホーチミンから東京へ。Sawakiへの追走は、まだまだ続く。

十年の時を越え、ホーチミンから東京へ。Sawakiへの追走は、まだまだ続く。

文:田中 長徳 (写真家)

『キャパへの追走』(沢木耕太郎 著)


ジャンル : #ノンフィクション

 沢木は事務所に入ると、それほど収入があるとは思えない田中さんが、どうしてこんな所に事務所があるのか、と柔らかな皮肉を言った。それが『キャパの十字架』ではそのまま文章になっているのでいささか恥ずかしくもあり嬉しかった。

 実に細かいところを見ていて、そこから物事の本質を見るようなタイプの作家なのである。

 いつであったか私のカメラに関する単行本の対談相手として沢木に来てもらったことがある。超多忙な作家だからまず無理だろうと編集部は思っていたのでみんな大喜びであった。会場の山の上ホテルに沢木は5分遅れて現れた。それから1時間15分、対談を終えた瞬間、彼は部屋から風のように姿を消した。

 同席した編集者はコーヒーにしますか紅茶にしますかなどと聞く時間のゆとりもなかった。何しろドアを開けて入ってきていきなり対談になったからである。

 かつて、ウィーンの楽友協会ホールでカール・リヒターがステージに上がってきた瞬間にオルガン演奏が始まってびっくりしたことがあった。名人はオルガンの前の椅子の位置を直すような事はなく、いきなり始まるのである。

 沢木の仕事のやり方もそれと同じだった。

 実は私はその時インフルエンザで40度近い熱が出ていたのである。その対談の一部始終はよく覚えているのだが、不思議なことにどうやって山の上ホテルに行きそこから戻ってきたのかの記憶が全くないのだ。

 あれはいつであったか、『キャパの十字架』執筆のための何度目かのスペイン取材に行く前日、沢木は私の六本木のオフィスに現れ、持参する予定のカメラを並べて見せた。


 田中さん、もっていくフィルムはこれで良いでしょうか?


 と見せてくれたフィルムは量販店で売っているモノクロームの3本パックが1個だけだった。

「沢木さん、あなたは有名な写真家であり作家なのですから、もうちょっとフィルムの本数を持っていったほうが良くないですか」と言うと沢木は私の目をまっすぐ見て言ったのである。


 田中さん、でもキャパがコルドバを取材したときのフィルムは確か全部で5本でしたよ。


 ロバート・キャパを追走した沢木耕太郎は私に追走されている。今後も迷惑になるかもしれないが、この追走はまだまだ続くだろう。

文春文庫
キャパへの追走
沢木耕太郎

定価:880円(税込)発売日:2017年10月06日

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