- 2017.10.31
- 書評
十年の時を越え、ホーチミンから東京へ。Sawakiへの追走は、まだまだ続く。
文:田中 長徳 (写真家)
『キャパへの追走』(沢木耕太郎 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
私が居を構えるポルトガル・リスボンの空港のファイナルアプローチでは、いつも沢木耕太郎のことを思い出す。なぜであろうか?
我らの世代のバイブルと言っても良い『深夜特急』の最後の方で沢木がリスボンからイベリア半島果ての町、サグレスに向かい、その海岸線で、闇の中、犬に吠えられるという短い記述がある。これは最高のポエムの一節である。
つまりポルトガルの国民的作家、カモンイスとかフェルナンド・ペソアと同じ位置に、沢木は私の前頭葉の殿堂の椅子に座っているのである。
リスボン下町の息苦しい迷路を抜けて、空が開け川風が吹いてくるその先にパンテオンの白亜の殿堂がそびえている。そこにはポルトガルの偉大な詩人の棺が収められているのであるが、私の強迫観念では、いつかそこに沢木の棺が並ぶように思えるのだ。ペソアと同じように沢木は私のリスボンと結びついている。これは一体なんだろうか。
初めて沢木に遭遇したのはヴェトナムのホーチミン空港。
ラウンジで私の10フィート前にジーンズとホワイトシャツの紳士の後ろ姿を見かけた。彼はエアポートラウンジのアテンダントからホットコーヒーを受け取っているところだった。2000年の12月末であった。私はすぐにそれが沢木であると認識した。
ポートレートなどで顔は知っているが、なぜ後ろから見ただけで沢木とわかったのか、その説明は未だにつかない。
彼は何の個性もないようなホワイトシャツに普通のブルージーンズを履いている。
ところがワイシャツにノーネクタイと言うのは、非常に難しいファッションの着こなしであって、私が知っている限り、これが似合うのは沢木を含めて3人しかいないのだ。残りの2人は美術家のNam June Paik と写真家・石元泰博である。
ノーネクタイのホワイトシャツという格好を一般人がすると、これから東京拘置所に移送されるような風貌になってしまうのである。
後ろ向きの沢木を10フィート離れて私は冷静に観察した。この人は信用できるなと思ったのは彼の英語がそれほど流暢ではなかったからである。
これは私が人を信用するかしないかの大事な分岐点なのだ。
アメリカ人や英国人のように流暢な英語をしゃべることの何がプラスであることか。
実用英語であるというところに沢木の実質的な存在感というか、実直さというかフレキシビリティーを直感したのである。
ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』の主人公、ユダヤ人のブルームがよく通ったダブリンの飲み屋に訪れる人は大変な数である。しかしこれはフィクションである。同じユダヤ人でもブルームはジョイスが作り出したフィクションの人であり、沢木が追走をしたロバート・キャパはリアルな人である。
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