二〇一七年は、宮部みゆきのデビュー三〇周年の節目の年にあたる。
著者は、一九八六年、現代ミステリの短編「祝・殺人」が第二五回オール讀物推理小説新人賞、時代小説の短編「騒ぐ刀」が第一一回歴史文学賞、現代ミステリの短編「デッド・ドロップ」が第四七回小説現代新人賞の候補作になり、翌一九八七年、「我らが隣人の犯罪」で第二六回オール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。同年に「かまいたち」で第一二回歴史文学賞佳作入選もしている。初の単行本は一九八九年刊行の現代ミステリ『パーフェクト・ブルー』で、同年には第二回日本推理サスペンス大賞を受賞した『魔術はささやく』も上梓されている。なお「祝・殺人」は『我らが隣人の犯罪』に、〈霊験お初〉シリーズの一作目となる「騒ぐ刀」は『かまいたち』に収録されており、候補作も高いレベルだったことが見て取れる。
短期間に立て続けに新人賞の候補作となり、候補作・受賞作を含む短編をまとめた『我らが隣人の犯罪』が単行本化される前に、『パーフェクト・ブルー』を出した著者は、“どれがデビュー作か分らない”といわれるほど、作家として華々しいスタートを切った。そこからミステリ、時代小説、SF、ホラー、ファンタジーなど多彩なジャンルで活躍する人気作家になったことは、改めて説明するまでもあるまい。
第一八回日本SF大賞を受賞した本書『蒲生邸事件』は、時間旅行をする超能力を持つ男に、昭和一一年に連れて来られた浪人生が、二・二六事件の渦中に起きた不可解な事件に巻き込まれるSF時代ミステリである。本書は、タイム・トラベルや超能力者の苦悩をテーマにしたSFとしても、瀟洒な洋館で発生した不可能犯罪を、時間旅行をする超能力者がいることを前提にして合理的に解明する本格ミステリとしても、天皇親政による国家改造を唱える皇道派の陸軍青年将校が決起し、要人を襲撃し帝都の中枢を占拠した二・二六事件前後の昭和史とそこで生きた人々の息吹を伝える歴史時代小説としても卓越しており、著者の持ち味が一冊で楽しめるのである。
物語は、平成六年二月二四日、受験した大学をすべて落ちた尾崎孝史が、予備校を受験するため平河町一番ホテルにチェックインするところから始まる。このホテルは、陸軍を大将で退役し、二・二六事件が発生した日、軍部の独走を憂える遺書を残して自決した蒲生憲之の屋敷跡に建てられたもので、館内には、洋館だった旧蒲生邸と初老の蒲生憲之を写した写真も飾られていた。二・二六事件、自決といえば、決起に誘われなかった武山信二中尉が、叛乱軍とされた同志を討伐しなければならなくなった状況に悩み、妻の麗子と心中する三島由紀夫の短編「憂国」を思い浮かべる。本書の蒲生大将と「憂国」の武山中尉は年齢こそ異なるが、決起した皇道派の青年将校に近い立場とされているので、著者は「憂国」を意識していた可能性がある。
上京した日、四ツ谷駅近くのファストフード店で夕飯を済ませ、コンビニで買物をしてホテルに帰った孝史は、フロントで「負のオーラ」をまとったかのような中年男を目にする。翌日、予備校の受験を終えて戻ってきた孝史は、非常階段の二階部分にいた中年男が、突然、姿を消すのを目撃する。孝史は中年男を探し回るが、当の男はエレベーターに乗りこんできて、さっき部屋から出てきたところだという。怪訝な顔をしている孝史は、フロントマンに、ホテルには蒲生大将の幽霊が出ると聞かされる。
その夜、ホテルが火事になる。逃げ場を失い死を覚悟した孝史の前に中年男が現れ、現場から救い出してくれる。中年男にはタイム・トラベルの能力があり、気が付いた孝史は、二・二六事件が起こった当日の昭和一一年に連れて来られていた。
著者は、江戸時代を舞台にした捕物帳、怪談、人情、政治ドラマを書き継いでいるが、何代将軍の頃というさりげない一文や、風俗描写などでだいたいの時代は類推できても、具体的な年号を記すことは少ない。これに対し本書は、物語の舞台を、内憂外患の社会不安を背景に軍部が力を持ち、日本が戦争へと舵を切りつつあった昭和一一年と明示し、当時を生きた人たちが何を考えていたかに迫っているのだ。
現代人は、軍が発言力を強め、実際に政権を奪取するためクーデターを起こした時代というと、思想・言論・行動の自由が制限された暗黒の時代をイメージしやすい。ただ著者は、非常時でも懸命に自分の仕事をする蒲生家の若き女中ふき、患者のためなら決起部隊の軍人にも堂々と意見する医師の葛城悟郎らを登場させ、さらにクーデターを見にきた野次馬、市内の一部が封鎖されたので通勤できるのかを心配する勤め人の姿などを描くことで、昭和初期の日本が決して軍部が庶民を抑圧し、閉塞感に覆われた時代ではなかったことを明らかにしていく。
実際、永井荷風の日記『断腸亭日乗』の昭和一一年「二月廿七日」には、二・二六事件を見物に来た「弥次馬のぞろぞろと歩めるのみ。虎の門あたりの商店平日は夜十時前に戸を閉すに今宵は人出賑なるため皆燈火を点じたれば金毘羅の縁日の如し」とあり、古川ロッパ『古川ロッパ昭和日記』の昭和一一年「二月二十九日」には、クーデターが「午後四時頃、漸く鎮定」すると「六時すぎから、丸の内の日劇・日比谷・地下等の映画館は興行を開始した、と、どしどし客が入って行く」とあるので、本書が丹念な考証を重ねて書かれたことがよく分かる。
著者が、強圧的な軍人に反発を覚える人もいれば、国に命を捧げる覚悟を尊敬する人もいた時代として昭和初期を捉え、緊迫感に満ちていた一方で、意外とのんびりもしていた二・二六事件時の実像に迫ったのは、当時の人たちが、現代人と変わらない見識と価値観を持っていることを明らかにするためだったのではないだろうか。
ここには、未来に何が待ち受けているか知らないまま、少しでも社会をよくする、自分の人生を切り開くなどするために、多くの人が悩み苦しんで選択した先に生まれたのが歴史であり、その結果を、現代の常識で善悪に色分けするのは果たして正しいのか、という問い掛けがある。この問題提起は、近代史の知識が乏しいまま昭和初期に送られた孝史が、自身の体験を通して常識を疑うようになるSFのパートが際立たせており、本書は、著者の歴史認識がうかがえる意味でも重要なのである。
時間SFには、意図せず過去に送られるタイムスリップもの、悪しき歴史や重大な事件を回避するため過去へ行く歴史改変もの、何度も同じ時間を繰り返し正解の道筋を探すタイムループものなど様々なパターンがある。本書は、歴史の大きな流れは時間旅行者にも変えられず、たとえ東條英機やアドルフ・ヒトラーのような指導者を殺しても、すぐに別人が代わりになるので必ず第二次世界大戦は起こるという“歴史不変”を前提にしている。何度も過去に行った中年男は、善意である人物を助けても、別の人が死ぬ残酷な現実に耐えられず、歴史に介入するのを避けるようになっていた。
中年男の懊悩は、時間旅行の能力を持つがゆえの特殊事情に見えるかもしれない。ただこれを、災害の被災者、あるいは差別や貧困に苦しんでいる人を救うため寄付をしたり、ボランティアを行ったり、あるいは目の前の困っている人に手を差し伸べたりしても、それは自己満足のための偽善に過ぎず、個人の力では社会の矛盾を糺せないと非難される状況に置き換えると、実は身近な問題に近いと気付く。
確かに中年男のように、善意や思いやりが裏切られると絶望は深くなる。そこで退廃に陥り活動を投げ出すのも理解できるが、偽善と承知の上で、自分の活動がわずかでも社会の矛盾を解消するのに役立っていると信じて続ける道もある。著者は、正解がなく、どちらを選んでも厳しい現実が待ち受けている選択肢を突き付けているので、読者は自分ならどうするかを考えることになるだろう。
中年男は、昭和一一年では「平田次郎」を名乗り、病死したとされる蒲生大将の看護人・黒井路子に代わり、蒲生邸で働く準備をしていたらしい。孝史は、職場を逃げ出した次郎の甥として、蒲生邸に身を隠す。やがて一発の銃声が轟き、自室にある大きな机の上で半身を伏せた蒲生大将の死体が見つかった。史実通り、蒲生大将は自決したと思われたが、現場に拳銃がなかったため、事件は思わぬ展開をたどる。
事件当時、蒲生邸にいたのは、蒲生大将の息子で過去にいわくがある貴之、タクシー会社社長の子息との婚約が決まった娘の珠子、蒲生大将とは確執のあった弟の嘉隆、嘉隆との駆け落ちを考えている後妻の鞠恵などワケアリの人物ばかり。しかも蒲生邸は、周辺を決起部隊によって封鎖されていたので、外部からの出入りが難しいクローズド・サークルになっていたのだ。
本格ミステリは、古色蒼然たる洋館、雪や嵐で隔絶された山村や孤島などを、陰惨な殺人の現場にすることがある。これはあやしげな雰囲気を盛り上げたり、容疑者が限定されるので作者と読者の知的ゲームが展開させやすかったりするからだろう。ただ著者の本格は、日常的な世界で魅惑的な謎を描き、それを論理的に説くスタイルなので、時に“本格らしい”とされる洋館やクローズド・サークルはあまり出てこない。
それなのに著者が、本書で洋館やクローズド・サークルを使ったのは、二・二六事件下の都心部で起きる事件ならば、洋館があっても、周辺が封鎖されて外部との連絡が難しくても、必然性が確保できると判断したからではないだろうか。ここには常に細部にまでこだわり、重厚な物語を紡いでいる著者の緻密な計算も感じられる。
本書は、蒲生大将の拳銃はどこに消えたのか、その死は後世に伝わっているように自殺なのか、あるいは他殺だったのに隠蔽されたのかを軸にしている。物語が進むと、次郎はなぜ戦争が迫り命の危険もある昭和初期に暮らそうとしているのか、孝史が間違われている蒲生大将の隠し子・平松輝樹はどのように事件にからんでくるのかなどの興味も加わり、謎が複雑になっていく。それだけに、事件とは無関係に思えた場所にも伏線が張りめぐらされていたことが分かる謎解き場面には、衝撃を受けるはずだ。
事件の真相が明らかになるにつれ浮かび上がってくるのは、人は歴史とどのように向き合うべきかという重いテーマである。歴史に詳しくないものの、日本が中国、そしてアメリカと戦争を始め、悲劇的な敗戦を迎え、戦後は復興して豊かな国を作るもバブル景気の崩壊でその繁栄も終焉したという事実を知る孝史は、当時の人たちが正しい選択をしなかったから戦争に至ったと考えていた。だが次第に、間違った選択をしたかもしれないが、それはできる範囲ですべきことを精一杯にやった結果であると考えるようになる。
現代人は、本書に登場する昭和初期の人たちと同じように、未来がどうなるか分からないまま生きている。そのため、目の前で、後に二・二六事件のように歴史のターニング・ポイントとされる事件が起きても、それを理解しないまま事態を悪化させるかもしれないのだ。そうならないために、人は何をすべきなのかを描いた本書の役割は、昭和初期に似て内憂外患が社会不安を増大させている今、ますます重要になっているのである。
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