- 2018.02.27
- 書評
闇の底できらめく人間の崇高さと歪んだ親子関係が生み出す悲劇
文:朝宮 運河 (ライター・書評家)
『樹海』(鈴木光司 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
一方で「奇跡」には類まれなる幸運に恵まれた男も登場する。会社経営者の中村だ。中村はこれまでに二度、失った大切なものが還ってくるという奇跡を体験していた。あるきっかけから矢掛と知り合い、中村はそのコヤを訪ねるようになる。こうしたストーリー展開には先の著者インタビューで語られていた、洞窟生活者との出会いが反映しているのかもしれない。
矢掛を中心としてつながるいくつもの人生が複雑に作用しあい、ついにある奇跡を呼び起こす。敗残者と呼ぶにふさわしかった矢掛が、物語の中でどう変化してゆくかに注目してほしい。
巻末に置かれた「禁断」の主人公は、樹海で人生最後のセックスにふけるドラッグ中毒の男女だ。医学部受験に失敗し、両親に見放された和之。潔癖症の母によって人生を呪縛され、リストカットとドラッグに逃避するようになった君子。そんな二人に残されていたのは、自ら人生を終わらせることだけだった。ドラッグが見せる幻覚シーンを交えながら、樹海での死と再生を描いてこの物語集は閉じられる。
以上の六編に共通しているのは、目を覆いたくなるような悲惨な人生の諸相、とりわけ歪んだ親子関係が生みだす悲劇だ。虐待を受けて育った子どもは、それが一生の傷となり、人生に大きなハンデを抱えてしまう。そんなシビアな現実を著者はこれでもかと突きつけてくる。本書において「努力すればなんとかなる」「運命は変えられる」といった綺麗事は、なんの力ももたない。
そんな暗い物語はわざわざ読みたくない、悲惨な人生など現実にいくらでも転がっている、と感じる方もいるだろう。実は本書はそういう読者にこそ向けられている一冊だ。なぜなら著者は深い絶望を描く一方で、必ずそこからの脱出も描いているからである。魂となって地上に留まる正吾も、残酷な運命にもてあそばれた輝子も、不治の病を患った遠子も、それぞれのやり方で希望へと一歩を踏み出していく。本書における樹海は、決して死者がさまようだけの呪われた場所ではない。豊かな大自然の中で、命が再生を果たす聖地でもあるのだ。
本書のもうひとつの特徴として、各短編同士がさまざまな形で繋がり、ひとつの大きなネットワークを形作っているという点があげられる。「遍在」と「娑婆」のように時系列で密接に繋がっているものもあれば、「報酬」とある短編のようにさりげなく繋がっていることもある。こうした構成が、木の根が縦横に絡み合った樹海を模していることは間違いないだろう。今回、この解説を書くにあたって本書を読み返してみて、あらためて驚かされたのはその複雑で精緻な構造だった。できれば二度三度と読み返し、作中にはりめぐらされた因縁の糸を辿ってみてほしい。そうすることで著者が作品に込めた真意が、より深く理解できることだろう。
一般に鈴木光司といえば『リング』やそのキャラクター“貞子”の生みの親であり、おどろおどろしいホラー小説の書き手というイメージが強い。しかしその作品世界は本質的にポジティブなものであり、運命にあらがう人間の崇高さを一貫して描いている。そもそも不条理な死の連鎖に主人公が立ち向かう『リング』からして、そうだったではないか。
本書はそうした著者の資質が、コンパクトに凝縮された重厚な作品集となっている。闇の中に光を、絶望の中に希望を見いだす著者のまなざしは、今回も揺らぐことがない。稀代の物語作者が生みだした渾身の六編を、ぜひ正面から受け止めていただきたい。そして本書をきっかけに、広大な鈴木ワールドのさらに奥へと分け入ってもらえたら幸いだ。
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