インタビューほか

岸惠子×磯田道史対談 日本とパリの「愛のかたち」(前編)

オール讀物2018年1月号より

世界で活躍する大女優と古文書の達人──異色の組み合わせのようで、実は仲良しのお二人。菊池寛賞受賞を祝って、岸さんのご自宅を磯田さんが訪ねた。

『愛のかたち』(岸 惠子 著)

京都を再発見

磯田 『愛のかたち』を読み、これはあらゆることの経験から染み出た文章であると感じましたし、何を大事にして生きるか、その価値観にも非常に共感できました。それにいま僕は京都の研究所に勤めているので、大事な場面で建仁寺(京都市東山区)のお坊さんが登場してびっくりしましたよ。

 私もびっくりしました(笑)。英国名を名乗る男性主人公の日本人をどういう生まれにしようか思いあぐねているときに、友人が「京都にマンションを借りたからお寺巡りに付き合わないか」って誘ってくれて、最初に連れていかれたのが建仁寺でした。まず二曲一双の「風神雷神図風」に圧倒されて、海北友松の襖絵にも息を呑むほど感動してしまって、三回も行きました。特に「雲龍図」に繊細さと猛々しさを感じて、(そうだ、男性主人公を建仁寺の僧侶の忘れ形見にしよう!)と決めたんです。夏休みに友達まで連れて大勢でやってきた娘一家を連れてまた四回目に行きました。

磯田 建仁寺は、襖絵もさまざまな名作がありますよね。

 京都には、十九歳から二十一歳くらいまで時代劇の撮影で通っていましたがお寺なんて行く余裕はなかった。

磯田 京都に着いても、駅と太秦撮影所を行ったり来たりするだけですか。

 そうです。当時は娯楽が何もない時代だから、映画は二本立て、三本立てで、一応スターといわれる立場になっても、私はそのころ研究生という待遇だったので、主役をやりながらほかの作品の通行人にも駆り出されていました。ギャラはなく研究費は相手役スターの百分の一くらいだったから使いやすかったのかな(笑)。大船で現代ものを夜まで撮って、そのまま夜行の三等に乗って京都まで行く生活でした。

磯田 三等ですか。それはつらいですね。あの頃のシートは木で硬いでしょ。

 そう、私はその三等にちょこんと座ってベッドに横になることもなく、京都についたら髪を結われてすぐ撮影です。でも、京都の撮影に悪いイメージはなかった。みんないい人たちで、映画作りに燃えていたわね。そんな時代でした。

磯田 『愛のかたち』の作中に登場する僧侶の子供の人物造形も自然でその現実的な感触に驚きました。

 うわ、うれしいです。唐突過ぎないかと危惧してましたけれど、磯田さんにそう言っていただくと安心します。

磯田 岸さんの文章も好きです。岸さんに漢文学の素養を感じたのが、心の「裡」という字を使っておられたこと。ある一定以上の世代の日本人はちゃんと「うち」と直ちに読めた。それが最近は小説でも歴史学の本でも「裡」の字なんてみない。

 え、そうですか(笑)。

磯田 この前、若い女優に「蓼食う虫も好き好き」という表現を使ったら、その「蓼」がわからないと言われて。よせばいいのに「『蓼喰う虫』という小説が谷崎潤一郎さんにある」なんて話したら、谷崎も知らなかった(笑)。

 でも、彼女たちはもっと別の世界のことを知っていますよ。私なんてスマホも持っていないし。機械に頼るのが嫌で、まだ「広辞苑」を引きますよ。

磯田 でも最近の役者さんは読書家が減り将来を心配します。映画の原作などで芝居にかかわって、そう感じる。作者と役者の関係は作曲家とピアニスト・ピアノに近い。本を読まぬ役者は譜面が読めないピアニストだから。いい台詞=音が出せないかも。岸さんの文章には、いろいろな音が響き合っています。『愛のかたち』を読んで、現代の日本人の教養という問題を考えさせられました。

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オール讀物2018年1月号

2018年1月号 / 12月22日発売 / 定価980円(本体907円)
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愛のかたち岸 惠子

定価:本体1,500円+税発売日:2017年09月29日


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