別冊文藝春秋

『あじゃりあじゃらか』藤沢周――立ち読み

文: 藤沢 周

電子版19号

 頭を上げたと同時に、若い女のつけていたトワレでしょう、高級な石鹸のような匂いが鼻先をかすかにくすぐります。見れば、栗色に染めた長い髪にムートンのジャケット、ぴったりしたジーンズと細身の黒のロングブーツという恰好でした。

 形のいいお尻が尖ったヒールのブーツで歩くたびにプリプリと躍動して、若さがあふれ零れるようです。不規則な敷石を気遣いながら歩く足取りがまた、跳躍力を秘めたカモシカのようにも見えて、つまりは自らの若い肉体を持て余しているのでしょう。

 すでにチャウチャウ男の指に、女も自らの白い指先を軽くからめていましたが、控え目というのでもない。その甘え慣れた手つきが、他に若い彼氏が一人や二人いるようにも思えます。こちらの勝手な想像とはいえ、なんとなく分かるものです。そうでなければあの男好きする体形や演技じみた手のつなぎ方は……。

 などと愚劣な妄想までしてしまいますが、この奥多摩の谷戸にある智雲寺を訪れるカップルは、こう言ったら失礼ですが、まともそうに見える関係はあまりお目にかかりません。人に秘する歪んだ関係でなければ、このような所を物好きにも訪れることは珍しいでしょう。

 いえ、チャウチャウ顔の中年男と女子大生のような若い女、あるいは、すでに老齢の女性と韓流スターのような若い男が腕を組んでいたりするのは、歪んでいると言うよりも、むしろ世の常かも知れません。受付で拝観客を眺めているだけでも、残念ながら世の中というのはそういうものなのだと気づかされるものです。

 ただそれぞれ抱え込むものが色々の皆様であっても、金堂の大日如来坐像をはじめ、馬頭観音像、愛染明王坐像、薬師如来像などを前にいたしますと、必ず手を合わせてくれるのです。目を固く閉じて一心に祈る者もあれば、般若心経などを小さく読経しながらの者もあり、逆におざなりに合掌するだけの者もいらっしゃる。

 それこそ祈る形も千差万別に違いないのですが、どこか祈る姿の佇まいは、蝋燭の炎の形や揺らぎに似ていると思えるようになりました。スッと澄んで灯りもすれば、落ち着かず炎を揺らし、やたらと煤を上げるのもある。丸く穏やかにほんのりと照らす炎もあれば、今にも消え入りそうな猫の乳首のような小さな炎もあるのです。それでも皆様、ほんの一瞬でも何かしら祈っているに違いないのです。

「何も信じず、何も考えず、適当というか、いいかげんにお参りするのは、どうなんでしょう?」

 と、寺に来たばかりの頃に、海照阿闍梨に聞いたことがあります。

「知らん」

 とその時はたった一言でした。

 ですが、様々な作務や受付、炭になった護摩焚きの後片づけなど、それでも毎日自分なりに真面目に続けているうちに、少しはまともに口をきいてくださるようになりました。

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