別冊文藝春秋

『あじゃりあじゃらか』藤沢周――立ち読み

文: 藤沢 周

電子版19号

「何も信じない、何も考えない、いうのは、立派な祈りやないか。無心でええ。人でも物でも、法界は縁起でできて、たえず動いとるやろう。その縁に身を任すぅいうのが、無心やないか。立派な祈りや」

 元々奈良出身の中村海照阿闍梨は、ごく親しい人には関西弁で喋ってきます。得度もしていない自分に普通に接してくれる僧正は、この智雲寺では海照阿闍梨と数人ほどです。

 僧でもない私が頭を丸め、作務衣を着て吉祥木の榧の数珠まで持っているのは、寺としてその方が体面上、都合がいいからの話です。「慈念」という法名も、阿闍梨がつけてくださいました。正直、形だけでも、そう呼ばれるのは嬉しいことなのです。まして、真言宗の大学を三年で挫折し、中退した身にとっては、ありがたいものです。

 だから逆に、遥かに歳は下ですが、同じ大学を出て四度加行という修行を済ませた権大僧都の密息さんなど、私を「慈念」と呼んだことがありません。「高井、高井」とあえてぞんざいな口調で本名の姓を呼んでくるのです。

「高井ー、境内の犬の糞、掃除しとけ」

「なんで五〇円なんていう端数が、余るんだよ、高井ッ」

「高井、おまえ、小屋でYou Tubeなんて見てんじゃねえだろうな」

 そんな五、六歳下の密息さんに、「いいかげん、その口の利き方やめねえと、しばくぞ!」と喉元まで出掛かるのですが、私は元々人と争うのが嫌いなものですから、ただ黙って頭を下げるだけなのです。

 密息さんも先輩の阿闍梨たちに何かといじめられて、ストレスが溜まっているのでしょう。この智雲寺で最も偉い瞑海大僧正はもちろん、海照中僧正やその下にいる少僧正、大僧都らの何人もの高僧が揃っているのですから。

 先ほどのチャウチャウカップルの拝観料を右の精算箱に入れると、足下の電気ストーブを弱にしました。やたら作務衣の脛を炙り続けるのです。またすぐに上半身が異常に冷えるので、こまめに調整しなければならないのですが、まだ夏の暑さよりも冬の寒さの方がましというものです。

 夏には小屋の低い天井角に取りつけられている小さな扇風機が回りますが、何の役にも立ちません。いつも拝観客が来ないのを見計らって、鉄の処女のような……あの、中世ヨーロッパで用いられた拷問具です。二メートルほどの聖母マリアの人形で、中は空洞、閉じる扉の内側に鋭利な釘が何本も出ていて、そこに人を閉じ込めるという恐ろしい拷問具ですが、私は夏になると受付小屋を鉄の処女と思ってしまうのです。ですから、狭い鉄の処女の小屋から外に出て、少しでも風を感じたいと、拝観客が来るまで小屋の周りを掃除する振りをしているのです。

 お金を精算箱に入れるだの、電気ストーブの強さを調整するだの、鉄の処女だの、そんなことはどうでも良い話でした。それよりも私にはいち早くやりたいことがあるのでした。境内に所々兆し始めた春を眺めるのもいいのですが、今朝、受付小屋に入ってから、膝元の棚に置いたパンフレットの束、その一番下に隠していたマニュアルを読みたいのです。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版19号文藝春秋・編

発売日:2018年04月20日


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