別冊文藝春秋

『セルロイド』葉真中顕――立ち読み

文: 葉真中 顕

電子版19号

 七瀬監督は、もともと、アニメファンの間では、知る人ぞ知る実力派の監督だったけれど、前作『ハルカロード』が特に高く評価されて、一躍名が売れた。私がこの業界に入ってきたのだって『ハルカロード』を観たからだ。七瀬監督はその年のアニメアワードでは優秀作品賞を受賞している。贔屓目抜きで今、業界で最も期待されているアニメ監督だと思う。

 それにしても今日も暑い――。

 パジャマ代わりにしているTシャツが、肌に張り付いている。エアコンを入れたくなるけど、ぐっと我慢して、ベッドから下りる。床に散らばっている本、雑誌、洋服、ゴミをまとめたコンビニ袋などを踏まないように、三歩歩いて窓際へ。

 なかなかゆっくり掃除する時間がなくて、部屋は散らかるばかりだ。収納の少ないワンルームにはどうしても、ものが溢れてしまう。最悪、バイオハザードにはならないよう、生ごみの処理だけはやっている。

 窓を開けると少しだけ風が吹き込んできた。そのまま玄関脇のキッチンスペースへ向かう。

 流しに近づくと嫌な臭いが鼻をついた。これは私が掃除を怠っているからじゃない。そもそもこのマンション全体で下水が詰まり気味で、夏場は悪臭がするのだという。荻窪の駅近で六万円台という安めの家賃には、これも含まれているらしい。

 流しで顔を洗う。最初のうちはこんな臭いのするところで、顔を洗うのに凄く抵抗があったけれど、割とすぐに馴れてしまった。

 冷蔵庫を開けて、買い置きのチョコチップスティックパンを一本だけ出してベッドに戻る。朝はあまり食欲が湧かないので、いつもこのくらいだ。食べない日も結構ある。

 ベッドの端に腰掛けてテレビを眺める。パンはあっという間に食べ終えてしまった。

 時刻はまだ九時過ぎ。今日は十一時半までに会社に行けばいいから、少しゆっくりできる。

 軽く掃除くらいしようか……。

 散らかる部屋を見てそう思ったけれど、身体が重い。気力も湧かない。ただでさえ疲れが溜まっているのに、連日の暑さで夏バテ気味だ。

 ギリギリまで二度寝しちゃおうかな――。

 私はベッドに寝転んだ。

 先月七月から、見習いが取れて、私は一人で制作進行の仕事を任されるようになった。今関わっているのは、来年の一月から放送予定の『終末のパラノイア』というファンタジーアニメだ。企画の元請けはよそのアニメ制作会社で、『スタジオ・アッシュ』は下請けとして全十二話中の四話分だけ制作を担当している。この四話を二話ずつ、私と、同期のガネで分担することになった。

 仕事の流れは一通り覚えたけれど、まだまだ要領よくこなすなんてできない。ある程度覚悟はしていたけれど、毎日やることが山積みになってしまい本当に忙しい。なんだかんだ毎週一日か二日は、徹夜する日がある。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版19号文藝春秋・編

発売日:2018年04月20日


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