ネーションと都市
さらに、日本と香港の比較はたんに極東のプロヴィンシャル(地方的)な文化論には留まりません。僕は倉田徹と張 彧暋の共著『香港』──香港史を手際よく要約しつつ、リアルタイムの政治運動の模様を伝えるハンディな入門書──に、以前次のような書店向けの推薦文を寄せたことがあります。
グローバリズムとナショナリズムの対立が再び先鋭化している今日、香港はまさにその対立の凝縮された「政治的」な都市として生まれ変わりつつあります。その現場の息遣いを伝える好著です。
今日の世界がグローバリゼーションとその反動としてのナショナリズムのあいだで引き裂かれているというのは、今や人文系の決まり文句です。香港はこれまで世界有数のグローバル・シティとして繁栄を築いてきましたが、雨傘運動以降は「中国化」に反発する独立派のナショナリストが台頭するとともに、香港の文化的アイデンティティが出版やウェブサイトでかつてない規模で話題にされています。辺境の商業都市・香港は今や、グローバリズムとナショナリズムが鋭く切り結ぶ現代世界の縮図となっています。
しかも、ここでややこしいのは、香港のアイデンティティはネーション・ステート(民族・国民を単位とする領土国家=国民国家)ではなく、東洋と西洋の入り混じったコスモポリタン(世界市民的)な都市の記憶と結びついていることです。これまでナショナリズムをエンジンとせずに発展してきたコスモポリス香港から、ネーションになろうとする動きが出てきている──、これもやはり日本と比較したくなる状況です。
事前の打ち合わせのなかで、張さんは日本における「ネーションの近代化」と香港における「都市の近代化」を比較したらどうかという興味深いアイディアを出してきました。日本列島に残されたさまざまな伝統の蓄積を取捨選別し、西洋の文物を受け入れながら「ネーション」を統合する大きな物語(ナショナリズム)を作り、富国強兵と殖産興業を推し進める――、これが日本の近代化のプログラムでした。それに対して、一九世紀半ばの阿片戦争後に開港され、長くイギリスの植民地となった香港には、そのような肉厚の歴史がありません。香港にとってはむしろ、都市を移民に向けて開放し、猥雑な文化を育てていくところに「近代」の体験があったわけです。
世界各地でナショナリズムへの回帰や右傾化が起こり、一部の香港人も独立を志しているとはいえ、香港を発展させてきた都市の開放性は本来ナショナリズムの排他性とは合いません。だとしたら、今日の香港ナショナリズムとはいったい何を目指す政治運動なのか? 香港のネーションとしての「独立」は望ましいのか? 逆にナショナリズムによって発展してきた日本は、これから都市的なものをどう吸収することができるのか? これらの厄介な問題は本書でも取り上げられることになるでしょう。 以上をまとめると(1)似て非なる他者を鏡にして、日本および香港の自己認識の座標を再検証すること(アイデンティティの次元)。(2)日本と香港に蓄えられた遺産を分析しつつ、世界とのつながり方を改めて考えてみること(文化の次元)。(3)ネーションと都市の差異を手掛かりにして政治的ヴィジョンを構想すること(政治の次元)。この三つが本書の大きな柱となる予定です。
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