
自身の葛藤や孤軍奮闘ぶりについて、著者はみずからを律して多くを語ろうとはしない。しかし、事実に即して忠実に語られる言葉は、緻密な取材によって集められた証言、丹念な資料収集、煩雑な裏付けを厭わぬ精査のたまものである。その結果、私たちに手渡される事実の数々は、日本の戦後史の発掘に繋がってゆく。全国の農漁村から軍事拠点広島に動員された少年特攻兵たちの存在。朝鮮半島出身者たちの身の上と、理不尽に抹殺された人生。納骨名簿に記載されながら、じつは生存していた従軍看護婦。半世紀以上の歳月を乗り越えて弟の遺骨を手にした、かつての原爆孤児の半生。沖縄出身の被爆者は、戦後のアメリカ統治下、社会的に放置されたままだった……納骨名簿の名前ひとつひとつに、家族にまつわるおびただしい物語があった。ようやく連絡がついても、遺骨はすでに戻っていると言われ、受け取りを拒まれることさえあったという。読みながら、遺族の方々が抱えてきた煩悶の深さを、想像したことさえなかった自分の無知が恥ずかしく、歯がゆい。佐伯さんが洩らした言葉「おうとるほうが、不思議よね」のリアリティが、ひたひたと黒い雲のように迫ってくる。
著者を奮い立たせた存在は、ほかにもあった。佐伯敏子を十数年にわたって取材しながら、二〇〇八年に急逝したジャーナリスト、中島竜美。遺族から著者のもとに託された取材ノートが、執筆を励ます伴走役となったことも、ここに書き留めておかなければならないだろう。死者たちへの鎮魂の祈り、知らんふりのできない生き方、このふたつが本書を支える両輪の轍である。