暴君ネロが君臨してそれに従う一見柔順な妻と姫がいる。女二人はネロと全く性格がちがう。娘はむしろ母の血を引いており、いかにも柔順を粧ってはいるが、内心の程は傍目には判らない。このネロと妻、ネロと娘という全く異元素の生物たちが日々相対して化学反応を起こす。その化学反応の情況が、何とも面白いドラマを生むのである。
かつて一度だけこの家族をモデルにして、ネロ的やくざの親分と柔順な妻女というホームドラマを企画したことがあった。親分が若山富三郎。美くしい夫人が八千草薫さん、娘が若かりし大竹しのぶ。ポシャった。無念だった。しかし大先生の原作私小説を脚色した時は、大体ネロは芦田伸介、奥様は八千草薫が演じた。佐和子姫はこれらに登場していない。佐和子姫はその頃まだ全く目立たない、静かにして奥床かしい娘さんだった。
姫が突然テレビに出たり、物を書き出したりして世に出た時は、腰を抜かさんばかりにおどろいた。これまで猫をかぶっていたお化けが、突然外衣をかなぐり捨てその正体を見せたと思った。
大先生はどう思っておられるかと、ある日恐る恐る電話をしたら、老境に入りかけておられたかつてのネロは、一寸淋し気に電話口で笑われ、「近頃はサワコのお父様と云われてねぇ」と力なく溜息をつかれただけだった。ネロの哀しみを僕は感じた。
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