別冊文藝春秋

『淀川八景 ポロロッカ』藤野恵美――立ち読み

文: 藤野 恵美

電子版23号

「別冊文藝春秋 電子版23号」(文藝春秋 編)

1

 なぜ歩くことにしたのかと問われれば、理由は自分にもよくわからない。

 淀川の河口はさすがに広く、潮の香りが漂っていた。川と海との境目を探す。金属製のプレートに「淀川距離標 左岸 0.0K」と刻まれているのを確認して、その場所からスタートした。

 大阪湾に背を向けて、淀川の左岸をどこまでも歩く。

 青い空を見あげ、両腕を振り、大きく足を動かしていると、解き放たれるような気分になる。

 堤防の道を進んでいくと、右手に梅田の街並みが見えてきた。ひときわ目立つのはスカイビルだ。空中庭園でつながったツインタワーは、その大きさとデザイン性で遠目にもわかりやすい。今日はよく晴れているので、スカイビルはその名のとおり窓一面に空の色を映し出し、青空のなかで銀色に輝いていた。

 弾むような足どりで、どんどん進んでいく。

 背負っているリュックサックの重さは、まったく気にならない。寝袋と二日分の食料と水。山登りとちがって人里離れた場所に行くわけではなく、周辺にはコンビニだってあるとは思うが、それでも食料をしっかりと準備してから出発しなければ気が済まなかった。

 川を吹く風に乗って、鳥がふわりと滑空していく。

 鳥を眺めながら、歩みを進めていると、高揚感があった。息があがって、全身を血が巡っているのを感じる。体に負荷がかかる感覚を味わうのは久しぶりだ。

 小学生のときは野球をやっており、中学高校と陸上部だったので、子供時代はそれなりに運動をしていた。大学からは登山を始めて、テントを背負って遠征をすることもあったのだ。それが社会人になってからは、デスクワークに追われ、すっかり体を動かさなくなっていた。自分ではあまり意識していなかったが、じっと座ってばかりの生活で、いろんな部分が凝り固まっていたのだろう。

 しばらく進むと、行く手に鉄橋があった。

 光沢を帯びた小豆色の阪急電車が通りすぎるのが見える。

 いつもはあの電車に乗っているのに、いまはそれを河川敷を歩きながら見あげているのは、不思議な感じだった。

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