猫をこよなく愛する作家が出会ったかけがえのない猫と飼い主たちとの物語。
澤田瞳子さんが選ぶ10冊【猫小説傑作選】
柳広司『漱石先生の事件簿』
日本で一番有名な猫小説は? と問われれば、十人中九人までが夏目漱石の『吾輩は猫である』を挙げるだろう。本作はそんな『吾輩~』の世界を舞台に、原典の主人公―いや主猫公「吾輩」の飼い主・苦沙弥先生の書生である「僕」が、数々のに挑む連作ミステリ。原典の数々の名セリフと地の文がそこここにちりばめられるばかりか、「吾輩」猫の日々の姿が、「僕」によって観察されているのも、原典ファンには嬉しい限りだ。
ところで原典では、名無しの猫が物語世界を案内してくれたが、本作では名無しの書生がその役割を担う。つまり本作の主人公「僕」はまさに原典の「吾輩」が擬人化された存在。このため我々は、原典と本作、双方に接することで、かつて猫が眺めた『吾輩は猫である』の世界を、重層的に味わい得るのである。
柴田よしき「猫探偵正太郎」シリーズ
猫とミステリは相性がいい。アキフ・ピリンチの『猫たちの聖夜』の雄猫フランシス、リリアン・J・ブラウンの「シャム猫」シリーズのココ、赤川次郎の「三毛猫ホームズ」シリーズのホームズなど、しなやかで好奇心旺盛な猫ほど、解きにぴったりの生き物は世の中にそうそういない。
本作はそんな猫ミステリの正統派とも呼ぶべき、コージーミステリ。推理作家・桜川ひとみの飼い猫である黒猫・正太郎が、幼なじみのチャウチャウ系の雑種犬・サスケや憧れの美猫トマシーナを始めとするユニークなキャラクターとともに、様々なに挑む連作である。
陽気で、観察眼に優れた正太郎と、天才的ひらめきを有しつつもどこか間が抜けた桜川ひとみは、読んでいるこちらが思わずくすりと笑ってしまうほどの凸凹コンビ。飼い主に振り回されつつも、持ち前の好奇心で小さなの欠片を拾い集める正太郎の姿を見ていると、もしかしたら街角のあの猫もこの猫も、我々が気づかない日常のを日々懸命に解き明かしているのでは……と想像してしまう。
高橋由太『猫は仕事人』
本作の主猫公である三毛猫・まるは、化け猫でありながら、元同心・佐々木平四郎の飼い猫となっている変わり者。かつて妖怪・ぬらりひょんの手下として、人の恨みを晴らす仕事人(仕事猫?)として働いていたが、現在はその過去を捨てて飼い猫暮らしを楽しんでいるという魅力的な設定だ。
だが本作で眼を惹くのは、主役が化け猫という、斬新な設定ばかりではない。この世の苦しい現実に挑むまるたちの姿には、まさに本家・仕事人顔負けの暗い魅力が潜んでいるではないか。
なお筆者の高橋由太にはこの他、黒猫の猫又・サジが営む妖怪飛脚屋を主な舞台とする「大江戸もののけ横町末記」シリーズや黒猫そっくりの小雷獣クロスケを主猫公とする「もののけ犯科帳」シリーズなど、猫好きには見落とすことの出来ない作品が数多くある。
宇江佐真理『深川にゃんにゃん横丁』
江戸深川、猫の通り道であることから、にゃんにゃん横丁の異名を持つ小路。その裏長屋に暮らす人々と横丁を闊歩する猫たちが、この連作の主人公だ。
やもめ暮らしの男から、生き別れた娘の名をつけられる白猫「るり」。るりの母でもあり、恩人の元に鯵の開きや富籤など、せっせと恩返しの品を運ぶ「まだら」。その他多くの猫を見守る人間の中でも、徳兵衛・富蔵・おふよの幼なじみ五十代三人組は、すでに老年に差し掛かった諦念と、人生で磨かれた知恵を兼ね備えた人物として設定されている。
猫のいる時間には常に、静かさと温もり、そしてほんのわずかな哀しみが漂っている。それはおそらく、人間よりもはるかに短い命を生きる猫たちの、静謐で柔らかな営みゆえ。翻って本作の中心人物たる徳兵衛たちを眺めれば、ささやかな日常を懸命に生きる彼らは、にゃんにゃん横丁の猫たちとどこか似た気配をまとっているではないか。
猫の活躍を期待する読者には、本作は少々物足りないところがあろう。だがこの作中には、猫に寄り添い、彼らと生きる穏やかな時間とその哀歓が満ちている。
大人になり、子を生し、やがて老い、死んで行く命。それは実に人も猫も変わることのない、永久不滅の命の営みなのである。
重松清『ブランケット・キャッツ』
世の中には昨今、家電製品や本はもちろん、家族やおっさんまで、様々な品を貸してくれるサービスがあるが、本作に登場するのは、毛布とともに二泊三日間、貸し出される「ブランケット・キャット」。子どもの出来ない夫婦、出来心から会社の金に手をつけた女性社員……様々な苦しみに直面した人々は、物言わぬ猫とのほんのわずかな触れ合いによって、一筋の救済の道を見出す。
人とは厄介なもので、他人にはなかなか心の奥底を見せられない。しかししなやかな身体と大きな瞳を持つ猫たちは、そんな複雑で寂しい心の底を、無言のうちにたやすく覗きこんでしまう。
幼い頃から毛布と一緒に貸し出され、名も与えられず、多くの人々を見つめてきたブランケット・キャッツ。本書を読み終えたとき、それがまるで寂しい人々の元に舞い降りた天使のようだと思うのは、私だけではなかろう。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。