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澤田瞳子さんが選ぶ10冊【猫小説傑作選】

澤田瞳子さんが選ぶ10冊【猫小説傑作選】

文:澤田 瞳子

表紙にもいろんな表情の猫がたくさん

出典 : #オール讀物
ジャンル : #小説

沼田まほかる『猫鳴り』

沼田まほかる『猫鳴り』

 正直なところ、本作は猫好きからすれば、いささか辛い描写が多い。怪我をした子猫を、幾度も幾度も捨て続ける妻を描く第一部。孤独の中であがく少年と、彼の小さな飼い猫を描いた第二部。年老い、死を間近にした猫を見守る老人を描く第三部。そこに共通して満ちるのは、猫という小さくも確実に存在する一つの命に、全身全霊で向き合う人間の姿であり、人の営為とは無関係に己の生を全うしようとする猫の痛々しいまでの生命である。

 その乾いた筆致は一見、不気味さすら孕んでいる。だが読み進める間に読者は、そこにはすべての生き物が根源的に抱く狂おしいまでの生への渇望と、日常の中に間違いなく潜んでいる死の影が、不思議な生命讚歌として描き出されていることに気づくだろう。

「猫鳴り」とは猫が喜んで喉を鳴らす音。本来、猫好きが目を細めるその音が、これほど切なく胸に迫る物語を、私は知らない。

小松左京『猫の首』

小松左京『猫の首』

 まず最初に、お断りしておこう。この短編は前述の『猫鳴り』以上に、猫好きには許し難いであろう物語である。夫婦と幼い娘の三人暮らしという、ごく平凡な一家。ある朝、その家の門柱に子猫の首が置かれる。「なんてことを! 猟奇殺人の前触れか?」と腹を立てながらページをめくる読者を置き去りに進む物語は、稀代のSF作家・小松左京ならではの疾走感に満ちている。

 本作の主人公がなぜ、「たかが」猫のせいで振り回され、大変な目に遭わされるかはここで述べるわけにはいかない。だが私はこの物語を読むたび、猫ゆえに苦難のただなかに突き進んでしまう主人公に著しい共感を抱いてしまう。そう、猫好きとはどんな時代になっても、猫を庇わずにはいられないひたむきな存在。いわば本作の主人公は今、猫を膝にこの小文を読んでいる読者一人一人の「もしかしたら」の姿なのである。

 

小池真理子『柩の中の猫』

小池真理子『柩の中の猫』

 猫好きの読者はおそらく、主人公・雅代の家に野良猫が迷い込む冒頭数ページを読んだだけで、この作品にれる猫への繊細な愛情に気づくであろう。牛乳、ハム、煮干し、と与えられる食物を飢えた猫が次々平らげる場面は、ただの猫の食事シーンでありながら、ガラス細工のような美しさに満ちている。

 愛猫・ララだけに心を開く少女と、彼らを取り巻く大人たちの愚かさを描いた本作は、ポール・ギャリコの『トマシーナ』を思わせる設定でありながら、その物語は『トマシーナ』とはまるで正反対の展開を見せる。

「孤独なつがいの小鳥のよう」に、麦畑で遊ぶララと少女。この世に彼らしか存在しないかの如く身を寄せ合う彼らは一枚の絵のように典雅で、残酷である。そして我々はその優婉たる美に魅せられるあまり、まるでこの小説そのものが一匹の「猫」であるかのような錯覚すら抱くのである。

 

平出隆『猫の客』

平出隆『猫の客』

 主人公とその妻が暮らす借家の隣家に飼われている猫、チビ。まさに「猫の客」として主人公の家に出入りするチビは、猫ならではの静謐さを常にまとい、昭和から平成へと激しく推移する時代の中で、そこだけぽつんと置き忘れられた夫婦の暮しにそっと寄り添う。

 自らの飼い猫でないがゆえの距離感と、それでもなお心に芽生える愛情。そんなひそやかな、手をふれないようにさえしていた猫との日々は、ある日、突然の断絶を迎えるが、夫婦の暮らしはそれからもなお不思議なしなやかさと、猫の微かな息遣いを思わせる生々しさに守られながら過ぎてゆく。

 決して猫が大活躍をするわけでも、猫を巡る華々しい物語が展開するわけでもない。だがすべての猫好きが、ああ、と羨望のため息をつくであろう、平凡で静かな「猫のいる暮らし」が、ここには確実に存在する。

 

長野まゆみ『耳猫風信社』

長野まゆみ『耳猫風信社』

 宮沢賢治の『猫の事務所』、井上ひさし『百年戦争』など、多くの作家が描いた〈猫の世界〉は、猫好きであれば誰しも、わずかな怖れと多大な好奇心を抱かずにはいられない世界だ。しかしながら本作において、十一歳になった「ぼく」が眼にした不可思議な隣町の不可思議さは、それら既存の「猫の世界」とは一線を画する。

 子どもから大人へと移り変わる瞬間のきらめきにも似た、少年たちの時間。その貴重なひと時に主人公が訪れた隣町は、筆者の文庫版あとがきの言葉を借りれば、まさに「よその生き物」のもの。誰もが生涯で一瞬だけ訪れることが許される場所は、まさに作中に登場する黒猫の青と黄金の睛そっくりに美しく、そして言い知れぬ切なさと甘やかさに満ちた場所なのである。

 

 思いつくまま猫本をお勧めしてきたが、さて困った。芥川龍之介の「お富の貞操」を始めとする古典的名作、あまんきみこの「山ねこおことわり」や安房直子の「猫の結婚式」などの童話もご紹介したかったのに、もはや紙幅が尽きた。

 とはいえ実のところを言えば、世の中に猫を愛する人がいる限り、猫を巡る物語はこれからも更に書かれるに違いない。

 書を読むや躍るや猫の春一日――は『吾輩は猫である』に登場する俳句。春爛漫の当節、さて我々は明日、どんな猫と書物に出会えるのか。猫と本を巡る旅は、まだまだ続くのである。

文春文庫
猫は仕事人
高橋由太

定価:671円(税込)発売日:2014年11月07日

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